建設業が組織的に「介護」の領域に参入した例としては、福島建設業協会の取り組みがある。 福島建協は2001年から01年度補正で予算化された「建設業経営革新緊急促進事業費」などを活用して2級訪問介護員の養成研修を開始。02年11月に株式会社ケアビルダーを設立して訪問介護サービスを始めるなど、最も「介護」への参入に真剣に取り組んだ事業主団体とみられてきた。
福島県は、当時からすでに建設投資が減少し、需要が低迷していた。そうした中、介護保険制度が2000年にスタート。福島建協は「地元の建設業者は地域に密着した労働集約型の事業形態。この労働力を活用すれば、過疎地域で介護事業に取り組んでも採算が見込める」と算盤を弾いた。
もちろん、介護保険制度が始まったこの時点では誰もが「新規参入」した段階。既存の異分野に参入するのに比べ、地方に強力なライバルがいない分、「参入は容易」とみた。
だが、福島建協の目論見とは裏腹に「厳しい現実」が待っていた。それは、「人が人をケアすること」の難しさ、言い換えれば「人の心の満足を得る」ことの難しさだった。建設業で生きてきた人たちが、想像だにしなかった大きな、大きな壁だった。 福島建協の三瓶英才会長は自身が二つのケアハウスと二つの特別養護老人ホームなどを運営する社会福祉法人「心愛会」を設立した介護事業者であり、協会がケアビルダーを設立した当時の協会副会長でもあった人だ。
その社会福祉法人「心愛会」では、「介護者として、福島建協のヘルパー2級講習を受けて資格を取った人は誰一人として雇っていない」。建設業に従事していた人にはもっぱら「要介護者の送迎車の運転や施設設備の運転管理などに従事してもらっている」という。
三瓶会長はいう。「介護ビジネスの場合、施設・サービスの利用者数は『口コミ』で決まる。利用者にとって快適な介護を提供するしかない。そのためには、介護従事者はスペシャリストが必要。介護の勉強を本格的に行った意識の高い人であることが雇用の最低条件だ」
三瓶会長にこのように言わせるもの、それは介護のノウハウを一つ一つ体感しながら蓄積し、「ようやく介護を地域に根ざしたビジネス≠ニして展開できるようになった」という思いであり、経験から得た確信だ。