首都東京のまちが大きく変貌しつつある。国際競争力の強化を目的に2011年に改正された都市再生特別措置法と特定都市再生緊急整備地域制度の創設、さらに20年のオリンピック・パラリンピック競技大会開催を契機に、大規模な再開発事業が次々と動き始めている。
多くの人を呼び込んで地域を活性化させ、その効果を周辺にまで波及させる。都市の再生、あるいは市街地再開発にはそんな力がある。大都市では権利関係が複雑で合意形成に時間が掛かるなど課題は多いものの、それだけに効果も大きい。特にアジア諸国の都市が急成長し、日本の都市の国際競争力が相対的に低下している中では、東京の市街地整備を推進し、国内外から人や企業を呼び込むことができる魅力ある都市拠点を形成することが急務だ。
都市の国際競争力を強化する上で特に有効な地域として国が政令で指定する特定都市再生緊急整備地域は全国で12地域・約3894f(4月1日現在)あるが、このうち東京が「東京都心・臨海地域」「品川駅・田町駅周辺地域」「新宿駅周辺地域」「渋谷駅周辺地域」「池袋駅周辺地域」の4地域・約2677fを占めている。
東京駅周辺での大手町・丸の内・有楽町地区大改造に続く日本橋・八重洲・京橋地区の開発、東京都有地を活用した渋谷地区や竹芝地区での都市再生ステップアップ・プロジェクト、品川駅周辺の国際交流拠点づくり、臨海副都心でのMICE・国際観光拠点の形成など、いずれも東京の“顔”あるいは、国内外の“玄関口”となる事業が始動している。
一方、JR北千住駅西口周辺地区や東池袋五丁目地区、西新宿5丁目中央南地区、武蔵小山駅前通り地区などでは、木造住宅密集地域の解消といった地域の抱える課題に対応し、安全安心なまちづくりと地域活性化につなげるための事業も着々と進んでいる。
20年のオリンピック・パラリンピック競技大会、そしてその後を見据え、首都・東京はどのような姿に変わっていくのか。都内で動き始めた再開発事業を追う。
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【東京都】再開発事業を追う
オリンピック契機に再開発めじろ押し
各地区の再開発事業
京成立石駅南口。立石駅通り商店街のアーケード通りを挟んだ東西に商店街が広がる。両地区ともシャッターを下ろした店舗が目立ち、営業している店舗は東地区ではチェーン店、西地区では昔から営業している地元商店が多い。
再開発計画が先行している「東地区」では、立石駅南口東地区市街地再開発準備組合(大島泰正理事長)が2017年度の本組合設立を目指して都市計画素案の調整を進めている。
事業エリアは葛飾区立石一丁目地内の約1.0f。細街路を解消し、防災性や駅への利便性を向上させ、安全なまちに整備する。
地権者数は70者を超える。16年度中に都市計画決定の告示を受けたら基本設計や事業計画の作成を進め権利変換計画を作成し、18年度後半に既存建物の解体工事に着手する。工期は約3年間。21年後半に再開発ビルを完成させたい考え。
再開発では敷地を南北A・Bに分割し、北側B敷地内に地下1階地上3階建て延べ約900平方bの再開発ビル、南側A敷地内に地下1階地上34階建て延べ約3万7900平方bの再開発ビルを建設する。低層部に業務や公益施設を、高層部に住宅約450戸を整備する。
A・B敷地の中央には交通広場を設け、路線バスやタクシーが駅まで寄り付けるようにする。
設計は佐藤総合計画(墨田区)、事業協力者は野村不動産と阪急不動産、清水建設。野村不動産は首都圏から少し離れた私鉄沿線の再開発を「コンパクトシティの受け皿とする」(福田明弘専務・開発企画本部長)と位置付ける。
京成立石駅周辺では京成電鉄押上線の連続立体交差化事業を機に、▽北口地区▽南口東地区▽南口西地区―の3地区での再開発が検討されている。
北口地区では葛飾区が再開発ビルの保留床を取得して総合庁舎を移転する計画で、準備組合に対して必要な床面積など与条件を提示している。
南口の西地区では、34階建の再開発ビルに590戸の住宅や大規模店舗、スポーツ施設、業務・公益施設などを整備する案や、市場を配置し路地空間を再生するかたちの再開発案などをたたき台に検討を進めている。
東口エリアが先行して安全なまちとして再生されれば、北口地区で、さらに西地区でのまちづくりやまちの更新への機運が高まることが期待される。
(建通新聞東京版2016年7月13日号掲載記事より)
サラリーマンの街といわれる新橋。都内有数のターミナル駅にもかかわらず駅西口周辺はいまだに開発が手付かずの状態だ。烏森神社の周辺などには古くからの飲食店などが軒を連ね、情緒ある街並みが残っている。
新橋駅周辺は、東口にバスターミナルやタクシー乗り場などの交通結節機能が集積し、西口は歩行者が行き交う商業・業務ビルなどが広がっている。ただ、ランドマークである「ニュー新橋ビル」が築45年を迎え、老朽化や施設更新の時期に差し掛かっている。さらに、柳通りの一部では都市計画道路の指定による絶対高さ制限(3階建て以下)のため、土地の高度利用に支障が生じるなど、権利者の生活への不安などにつながっている。一方、新橋駅と羽田空港を直結する交通網の整備計画も浮上し、国際競争力の強化といった新たな役割も求められている。
新橋の顔である駅西口の「SL広場」や「ニュー新橋ビル」に加え、隣接する新橋3・4丁目の一部を含む約2.8fのエリアで計画中の再開発事業が「新橋駅西口地区市街地再開発事業」だ。30階建て高さ120〜130bの超高層ビル2棟を含む複合施設を整備する。公民協働で▽周辺と調和した業務・商業施設の整備▽帰宅困難者対策など防災機能の向上▽東京メトロ銀座線とのアクセス向上―といった課題の解決と、将来のエリアマネジメントも含めたまちづくりに取り組む。
地元ではことし3月に再開発準備組合が設立された。2018年の都市計画決定、21年の権利変換計画の認可取得、26年の整備完了を目指している。現在、権利者約400人のうち3分の2が準備組合に参加。このうち、ニュー新橋ビルの区分所有者は約90%が加入、再開発への機運が高まっている。同事業の事業協力者は野村不動産(新宿区)とNTT都市開発(千代田区)。コンサルタント業務をNTTファシリティーズ(港区)、協同組合都市設計連合(港区)、上野計画事務所(港区)が担当する。
再開発事業では、ニュー新橋ビルを再整備するとともに、柳通りの幅員を20bまで広げる。また、エリア内の都市公園(桜田公園)や港区生涯学習センターなどの再配置により、周辺の土地利用と調和した業務・商業施設の再配置や、帰宅困難者対策を含めた防災機能の強化に配慮したまちづくりを進めていく方針だ。
気になるのはテレビの“街頭インタビューの名所”となっているSL広場の存続。準備組合では「歩行者が利用する広場機能を拡充して、にぎわいの形成につなげたい」と話している。
(建通新聞東京版2016年7月20日号掲載記事より)
かつて青梅市は青梅駅を中心に商業が栄え、市内に3館あった映画館には遠方からも足を運ぶ人が多かった。しかし、郊外に大型商業施設が立地するようになり、青梅駅前を中心に空き店舗や“開店休業”の商店が増加。中心市街地の衰退は深刻だ。
こうした状況を踏まえ、市は、中心市街地活性化基本計画の核事業として青梅駅前地区市街地再開発を掲げる。再開発エリアはロータリー、駅前通りに面した本町131ほかの約0.5fで、空き店舗を抱えるビルや未使用ビル、アパートなどが立ち並んでいる。
既存の商業ビルは土地区画整理に併せ1976年に建設された。建物の老朽化が著しく、水道の赤さび、ガス管の腐敗も進む。危機感を持った地権者が集まって2009年から勉強会を開き、再開発の手法を模索。専門家やUR都市機構のアドバイスを受け、14年に準備組合を立ち上げた。
澤渡敏夫理事長は「地権者は当時の区画整理を経験した人ばかり。子孫のために、老朽化したこのビルを残すべきではないと意見が一致した」と話す。現在、23者の地権者のうち19者が準備組合に加入している。
再開発施設の建設に向け、6月15日に大京と事業協力者の協定を締結。同月17日には、青梅市の中心市街地活性化基本計画が内閣総理大臣の認定を受け、事業化に拍車が掛かった。計画期間は7月から22年3月までの5年9カ月間で、この期間内に再開発施設を完成させる。コンサルタントは都市環境研究所が担当。
素案によると、再開発施設の階数は最高で18階建て、最低で13階建て。敷地の建ぺい率は80%、容積率は500%で、これを最大限活用した場合の延床面積は約1万4000平方bになる。1階にスーパーマーケットを中心とした商店を配置し、2階に図書館や子育て支援施設を入れたい考え。3階以上に100戸強の住宅を設ける。
また、エリア内にある狭い市道を付け替え、幅員6bに拡幅。再開発施設の西側に、駅前通りと並行する形で整備する。
今後は17年度の都市計画決定、18年度の本組合設立を経て、19年度から既存施設の解体と再開発施設の建設を進める計画。工期は約20カ月間を見込み、21年3月末の完成を目指す。澤渡理事長は「再開発施設に子育て世帯を集め、さらに旧青梅街道沿いの空き店舗などを活用して若い人たちが商売できる環境を整えれば、商店街の新陳代謝が活発化し、かつてのにぎわいを取り戻せるはず」と期待を込める。
(建通新聞東京版2016年7月27日号掲載記事より)
当初は、スーパーを取り壊し、跡地にマンションを建設する計画だった。しかし、地域にとって果たしてそれは良いことなのか―。場所は足立区・北千住駅に近い商店街。かつて千住宿として栄えたにぎわいは今でも残っている。しかし裏通りに入れば木造住宅密集地域が広がる。道路は狭隘(きょうあい)で、救急車や消防車の乗り入れにも支障があるほどだ。
スギモトホールディングス(足立区)の杉本義幸社長は地元企業として計画を見直すことにした。たまたま隣接地には移転を控えた都税事務所があった。商業施設なども取り入れ一体的に開発すれば、防災性の向上や商店街の活性化など今後のまちづくりにつながる。「将来に向けてまちに一つの穴を開けることができる」(倉田隆夫スギモトホールディングス専務執行役員)と判断した。
千住一丁目地区市街地再開発事業の対象エリアは足立区千住一丁目地内で、千住ほんちょう商店街のある旧日光街道に面した区域面積約0.5f。同社と東京都、第一生命保険などで構成する千住一丁目地区市街地再開発組合が、スーパー「トポス北千住店」と、その裏にある旧足立都税事務所の庁舎などを取り壊し、鉄筋コンクリート造地下1階地上30階建ての再開発ビルを建設する。
1〜2階に店舗や子育て支援施設、3階に多目的室を配置、4階以上を約180戸のマンションにする。
敷地面積は3400平方b。商店街に面する部分を中心に、敷地の約30%を公開空地にする。設計を担当する梓設計(品川区)の菅野聡明プロジェクト開発部主幹は「密集した市街地の中でまとまったオープンスペースを生み出す意味は大きい」と話す。北側と東側に面した道路の拡幅も行う。
さらに防災面では、懸念される荒川の堤防決壊による洪水などに備え、2階の屋上などを避難場所として使えるようにする。電源を確保するため、電気室や自家発電機室は3階に配置している。
環境対策の面では、周辺の日照環境に配慮し、高層部の形状をできるだけコンパクトにする工夫なども行っている。
JR常磐線や地下鉄日比谷線・千代田線など複数の鉄道のターミナルとなっている北千住駅の周辺は、都心に近い便利さもあり、若いファミリー世帯が入居するマンションも目立ってきた。
千住ほんちょう商店街の商店主の一人は、「再開発によって新たなにぎわいの拠点が生まれ、まちへの来訪者が増えれば」と期待する。
同事業では今後、11月ごろに施工者を決め、12月ごろから解体工事に入る。2017年4月ごろに再開発ビルの建設に着手し、19年秋の完成を目指す。
(建通新聞東京版2016年8月3日号掲載記事より)
JR小岩駅は1899年の開業以来、周辺で小売業が発展してきた。91年には1年当たりの地区の小売販売額が600億円を上回った。しかし、これをピークに販売額はその後減少。2007年時点で約300億円にまで落ち込んだ。錦糸町や船橋など、周辺エリアの“都市間競争”に巻き込まれ、商業が圧迫されたことが主な要因に挙げられる。
将来のまちの在り方を見通した場合、地元から「このまま何も手を打たないと、一向に良くはならない」という声が上がり、再開発の機運が高まったという。“商業のまち”の復興に向け、小岩駅周辺で北口と南口にある計3地区で、100年先を見据えた街の更新が進んでいる。
北口では現在、JR小岩駅北口地区市街地再開発準備組合が事業協力者の選定を行っている。一方、南口では「南小岩六丁目地区」と「南小岩七丁目西地区」で再開発の計画が進んでいる。
「北口地区」では、17年度の都市計画決定、18年度の再開発組合の設立を想定。19年度に権利変換計画の認可を得て、20年度に着工する計画だ。25年度の完成を目指す。
江戸川区からの委託を受けたアール・アイ・エー東京支社開発企画部(港区)が、募集のあった14者の中から10月までに事業協力者を選定する。
再開発エリアは小岩駅北口の約2.1f。計画案には、8500平方bの敷地に延べ床面積約85000平方bの施設の建設を盛り込んでいる。用途は商業・業務施設、共同住宅、歩行者デッキなど。下層部に商業施設を設け、上層部に住戸を配置する予定。駅前にあるイトーヨーカドーが入居し、跡地を駅前広場とする計画だ。
南口では、「南小岩七丁目西地区」の再開発で29階建ての再開発ビルを建設し、15年に事業を完了した。現在は「南小岩六丁目地区」と「南小岩七丁目地区」の2地区で再開発が進行している。
「南小岩六丁目地区」では、再開発準備組合が9月ごろに特定業務代行者を決定する見通し。10月に組合設立認可を申請し、年内に組合設立に至ることになりそうだ。
「南小岩七丁目地区」では、土地区画整理事業と市街地再開発事業を一体的施行で実施している。再開発関連では、15年7月に再開発協議会を設立しており、今年秋までの準備組合設立を目指す。
地元では、これまでに形にならなかった動きも含め、今回の再開発を「3度目の挑戦」と呼ぶ。28年には、3地区全ての再開発が完了する。小岩駅前は新たな装いで再スタートを切り始めている。
(建通新聞東京版2016年8月10日号掲載記事より)
かつてバブル時代、ディスコに訪れる多くの若者が集まり活気に満ちていた港区芝浦。現在では大規模なマンション建設が相次ぎ、街の景観や人の流れは様変わりした。そんな芝浦地区の交通拠点であるJR田町駅の東口では、駅前広場に隣接し、シンボルストリートである「なぎさ通り」の沿道に位置する昔ながらの趣を残す雑居ビル街の一角(面積約0.3f)で、田町駅東口地区市街地再開発事業が進んでいる。
大規模な開発ではないものの、芝浦地区の玄関口として重要な役割を担うエリアだ。マンション開発の影響によって急激に人口が増加。周辺にはオフィスや学校も数多く立地しており平日の通勤時間帯は混雑し、歩行者の安全確保が課題となっている。
また、老朽化した建物が密集しているため、災害時の避難や被災者の救出・救助活動の場の確保など、防災上の観点から機能更新の必要性に迫られている。
総事業費約40億円を投じ、地下1階地上6階建て延べ3870平方bの商店街棟を建設。1〜5階が店舗で6階が共同住宅となる。また、2階建ての交番棟を建設し、駅前広場にある巡査派出所を移設する。
アール・アイ・エー(港区)がコンサルタントを担当。東京ガス(港区)が事業協力者として参画している。
2015年9月に東京都から組合設立の認可を受け、現在は既存建物を解体中。17年2月の着工を目指して施工者の選定を進めている。18年3月の完成を目指す。
隣接地では、東京ガス・三井不動産・三菱地所の3社が「(仮称)TGMM芝浦プロジェクト」を進めている。オフィスビル、商業施設、ホテルなどの機能が集積する4棟・総延床面積約30万平方bの大規模再開発に取り組んでいる。両街区を田町駅の改札からペデストリアンデッキで接続する計画だ。
さらに、先行して整備が完了した区有施設「みなとパーク芝浦」と「愛育病院」が立地する公共街区にも直結。港区芝浦港南地区総合支所やスポーツ施設が入居する「みなとパーク芝浦」には、芝浦小学校の児童数増加対策として、港区が小学校を新設する方針を打ち出した。公共施設の拡充はさらなる民間の開発を牽引(けんいん)するだろう。
ある地権者は、「この辺りはオフィスが多いので、にぎわうのは平日に偏っている。365日・24時間、さまざまな世代の人々が集まる街になれば」と期待を込める。官民、地元住民の新たなまちづくりへの期待や思いが結集し、芝浦地区の新たな顔となる複合市街地が生まれようとしている。
(建通新聞東京版2016年8月17日号掲載記事より)
板橋区が都市計画決定した2004年以来、権利者の合意形成が遅々として進まなかった「上板橋駅南口駅前地区」の第一種市街地再開発事業が、いま大きく動き始めている。
転機となったのは、13年3月の「かみいた南口東災害に強いまちづくりを進める会」(事務局・URリンケージ)の設立と、同会による「施行区域とされている上板橋南口銀座商店街(西側)と、一般国道254号線(川越街道)に接する上板橋1丁目および同2丁目地内約2.2fのうち、東街区など1.7fを先行して施行してはどうか」という、いわゆる「1.7f先行案」の提示だ。
同会はこの間、計11回の合同意見交換会を開き、権利者がお互いのまちづくりへの考えや要望を交換し合い、合意形成に向けた環境を醸成してきた。8月4日にも12回目の合同意見交換会を開き、9月中に準備組合の新体制を固め、12月中に準備組合を再設定することを申し合わせた。新たな再開発準備組合が17年3月までに事業計画案を策定し、17年度の本組合設立認可(事業認可)を目指すことも確認した。
合同意見交換会でたたき台としている「1.7f先行案」によると、東街区には32階建て(店舗・公益施設1000平方b、住宅3万3000平方b、350戸)、中街区には18階建て(店舗150平方b、住宅9000平方b、100戸)、南街区には5階建て(店舗・事務所1700平方b)の施設をそれぞれ建設。駅前には広場(3900平方b、地下駐輪場1500台)を整備し、一般国道254号線とは都市計画道路(延長210平方b、幅員16b)で結ぶ。
区は、再開発に対して未賛同者が比較的多い西街区(0.5f)については、権利者にまちづくり手法についての「勉強会」を発足させる機運を醸成するなど、引き続き合意形成に向けて支援していく方針だ。
再開発準備組合が設立されてから21年。この間、国内外の社会・経済環境はもちろんのこと、施行区域内の権利者自身が、それぞれ持つ価値観や抱える事情も大きく変わった。
都内の再開発事業の多くがそうであるように、「上板橋駅南口駅前地区」にも地域住民の高齢化と単身世帯化の波が押し寄せている。当時、再開発事業のことを知らずにいた子どもたちが、いまや互いの意見を交換し、自らの権利を主張する世帯主だ。地域コミュニティーを継承しながら、いかにして駅前空間の付加価値を高め、地元商店街の活性化につなげていくのか―。
近い将来の発生が懸念される首都直下地震など、大規模自然災害への備えも避けては通れない、大きな命題だ。
再開発準備組合(本組合)の最も重要な役割は、権利者の利害関係を左右する権利変換計画を作成することにある。事業認可を目指す機運は高まりつつある。同組合が再設定し、事業計画が決定する16〜17年度にかけて、この再開発事業は極めて重要な局面を迎えることになる。
(建通新聞東京版2016年8月24日号掲載記事より)
明治時代末期ごろまでの北区・JR十条駅周辺は、農家が点在するだけの土地だった。1923年(大正12年)の関東大震災の後、市民の住宅不足対策のため内務省が設立した財団法人同潤会によって、十条での住宅建設が進んだ。やがて店舗が軒を連ねるようになり、現在のまちへと発展した。
そんな十条駅周辺では、東京都が都施行の再開発に向けて動き出したものの、99年に撤退したという経緯がある。しかし再び再開発の機運が高まり、現在は、北区上十条1丁目他の敷地面積約17000平方bを対象に組合施行での再開発が進んでいる。
再開発準備組合は、9月末に本組合の設立を申請し、年内の設立を目指す。コンサルタントは日本設計(新宿区)で、事業協力者は前田建設工業(千代田区)。新日鉄興和不動産(港区)と東急不動産(港区)が参加組合員となる予定だ。事業費として約445億円を見込む。
再開発ビルは、地下2階地上40階建て延べ約79460平方b。用途は、約540戸の共同住宅の他、1〜2階に店舗、3〜4階に業務、公共施設などを配置する計画。地下部分は駐車場や駐輪場として活用する。
16年内に本組合を設立し、17年度に権利変換計画の認可を受ける予定。18年度に再開発ビルの施工に着手し、22年度の完成を目指す。地権者数は80人。
十条駅周辺には東京家政大学、東京成徳大学、十条富士見中学校など教育施設が数多く立地している。また、北療育医療センターや帝京大学医学部付属病院など、医療施設も充実している。加えて、障害者総合スポーツセンターなどのスポーツ施設も整備されている。駅前の十条銀座商店街には、今も昭和の雰囲気が残っている。再開発を通じて540戸の住宅が加わることから、教育・医療・スポーツ・商業などとの「機能の融合」と、新たな施設と既存施設という「新旧の融合」が期待される。
同エリアの周辺では、JR埼京線の十条駅付近(板橋区板橋1丁目〜北区赤羽南2丁目)を高架化する連続立体交差が計画されている。今後、高架化に向けた用地取得が進めば、十条駅東側エリアの再開発が動き出す可能性もある。
(建通新聞東京版2016年8月31日号掲載記事より)
JR中央線武蔵小金井駅の南口から程近い場所に、木造住宅が密集するエリアがある。車が通行できないほどの狭い砂利道が目立ち、駅直近でありながらにぎわいはない。この一帯で再開発が構想されたのは20年前のことだ。
当時、武蔵小金井駅は南北が踏切で分断され、南口のまちづくりは難航していたが、中央線の高架化計画に伴い一気に加速。駅前広場を含む3.4fのエリアを第1地区、その南側に隣接するエリアを第2地区とし、当初は両地区の再開発ビルを同時期に建設する予定だった。
しかし、財政上の問題で第1地区を先行して開発することとなり、第2地区の計画が遅れた。2012年3月に第1地区の再開発ビル、駅前広場が完成し、その1カ月後に第2地区の準備組合が発足。地権者の9割が合意形成し、15年9月に本組合の設立認可を得た。
準備組合発足からわずか3年半で本組合を設立し、来年2月から建物の取り壊しを始める予定だ。「待ちに待った再開発だ」と近隣住民の期待度は高い。再開発ビルの本体工事は17年度に着手し、19年度に完了させる。地権者は「東京オリンピックを再開発ビルでテレビ観戦したい」と、完成を待ち望んでいる。
第2地区の事業区域は小金井市本町6丁目と前原町3丁目の約1.8f。駅周辺の居住・商業・生活サービス・コミュニティー機能を拡充することで、市の玄関口にふさわしい、にぎわいある生活拠点を形成。駅前を中心とした「街のコンパクト化」を実現する。
敷地の西側に地下2階地上26階建てのA棟、東側に地下2階地上24階建てのB棟を建設。総延べ床面積は約10万7900平方bとなる。地下に機械室と駐車場、地上1〜4階に店舗や子育て支援施設、5階から住宅約690戸を配置。商店街とバッティングせず、相乗効果が図れるような商業施設を取り込む。低層部を段丘状にして二つの棟を連結し、デッキ部分を緑化する。
併せて区画道路や敷地内通路、コミュニティー広場なども整備。区画道路は十分な幅員を確保しているため、災害が起きたときでも緊急車両が入りやすくなる。
組合員として野村不動産、事業協力者として清水建設が参画。コンサルタント業務を佐藤総合計画が担当している。
(建通新聞東京版2016年9月7日号掲載記事より)
港区の新たなランドマークとして虎ノ門ヒルズが誕生してから2年。北側隣接地で「虎ノ門一丁目地区第一種市街地再開発事業」が動き始めた。国家戦略特別区域内での都市計画建築物等整備事業の一環として、オフィス機能を中心とする36階建ての「虎ノ門ヒルズビジネスタワー」を新築し、国際ビジネス拠点の一角を形成することを狙う。銀座線虎ノ門駅や日比谷線新駅に連絡する地下歩行者通路、虎ノ門ヒルズに連絡する歩行者デッキなどを配置し、地区内外の回遊性と利便性も高める。今年1月の本組合設立を経て既存建物の解体に着手した。2017年2月の本体着工、19年度中の完成を目指している。
再開発事業の施行区域は虎ノ門ヒルズの北側に位置する港区虎ノ門1-17他の約1.5f。虎ノ門10森ビルや西松建設の本社屋などが立地していた地区で、森ビルと西松建設、京阪電気鉄道、東京都市開発―の4者が組合員として参画している。
虎ノ門ヒルズビジネスタワーとして建設する建物は鉄骨一部鉄骨鉄筋コンクリート一部鉄筋コンクリート造地下3階地上36階建て延べ173318平方bの規模。賃貸オフィスやビジネス支援施設を配置するとともに、都心部と臨海部を結ぶBRT(バス高速輸送システム)やエアポートリムジンなどと連絡するバスターミナルを整備。東京メトロ銀座線虎ノ門駅と日比谷線虎ノ門新駅を結ぶ地下歩行者通路なども設ける。敷地内にあった日本基督教団芝教会を建て替える形で鉄筋コンクリート造4階建て延べ589平方bの教会棟も新築する。
既存建物の解体を西松建設と大林組で進めており、本体工事については大林組が施工する見通し。
今回の事業では「都市づくりとの連携による交通結節点の機能強化」と「国際的な生活環境を備えたビジネス・交流拠点の形成」を目標に掲げ、地権者で組合員でもある森ビルが中心となって事業計画を立案。国家戦略特区での都市計画手続きの迅速化といった規制緩和策を活用することで、10年12月の準備組合設立後、15年7月の都市計画決定を経て、今年1月に本組合を設立するなどスピーディーに事業を進めてきた。BRTの整備や虎ノ門新駅の設置など関連事業と歩調を合わせることで、事業効果を最大化する考えだ。
20年のオリンピック・パラリンピック競技大会を契機に大きく変貌する虎ノ門地区。首都東京の持続的発展に向けた都市モデルとなることが期待されている。
(建通新聞東京版2016年9月14日号掲載記事より)
神田練塀(ねりべい)町地区の一帯は江戸時代、瓦と練土(ねりつち)を交互に積み上げて瓦で葺いた土塀「練塀」が連なる武家地だった。1890年に秋葉原貨物駅ができ、主に東北からの物資を受け入れるようになり、1923年の関東大震災の後には神田青果市場が移転してきて東京の物流拠点の一つになった。その後、「電機の街」として栄えてきた秋葉原には常磐新線の始発駅が完成、ターミナル駅としての機能を強化した。そしていま、再開発によって新たな顔を生もうとしている。
事業主体の神田練塀町地区市街地再開発組合は、鉄骨一部鉄骨鉄筋コンクリート造地下2階地上21階建て延べ30799平方bの再開発ビルを建設し、1階に店舗、3〜17階に事務所、18〜20階に住宅36戸を整備する。ビルは免震構造。地区東側の南北通りの歩行者動線軸を強化し沿道のにぎわいを創出する計画だ。
現在、特定業務代行者の検討を進めており、選定された事業者が再開発ビルの建設や保留床の処分など特定業務を代行する。
対象エリアでは一部で解体工事が始まっている。地区内に入ると、閉店したある店舗にはこんな張り紙があった。「長年この地で皆さまとともに歩んできた」「できればこの後もずっと営業していきたいと願っていた」とする一方、「地区の将来のためやむなく閉店することとした」と書かれている。約40年の店の歴史に区切りをつけた店主の口上に、変化する地域への思いがにじむ。
再開発ビルの建設工事は2019年1月の完了を目指してスタートする。駅を囲む高層ビルがまた一つ誕生する。
建設地は千代田区神田練塀町地内の約0.5f。
コンサルタント業務をアールアンドディ新建築都市研究所(新宿区)、基本設計を日建設計(千代田区)が担当した。参加組合員は住友不動産(新宿区)。
(建通新聞東京版2016年9月21日号掲載記事より)
“昭和レトロ”。交通量の多い国道246号と世田谷通りに挟まれ、多くの若者が行き交う三軒茶屋の一角に、古い映画のセットのような町並みが残っている。東急田園都市線三軒茶屋駅に近接する「三軒茶屋二丁目地区」は、戦後、道路などの都市基盤が整備されないまま小規模な飲食店やアパートが立ち並んだ。街にはにぎわいや交流が生まれたが、密集した建物の老朽化が進み緊急車両も通行できないなど、防災面の課題が顕在化している。そんな中、2015年8月、従来から活動していた二つの準備組合が合体する格好であらためて市街地再開発準備組合が発足した。いま、新たなまちづくりが本格的に動き出そうとしている。
再開発の対象エリアは世田谷区三軒茶屋2丁目の約1.8f。隣接する区域の再開発であるサンタワーズ(1992年完成)、キャロットタワー(96年完成)の動きなども踏まえ、地域関係者らが90年に勉強会を立ち上げた。地区中央に配置予定の都市計画道路を境に、まず93年に道路東側で「三軒茶屋センター地区市街地再開発準備組合」が発足。97年には西側の区域も対象に加えた「三軒茶屋二丁目地区市街地再開発準備組合」となったが、具体的な進展が見られないまま時が経過した。そこで、道路の東側と西側でそれぞれまちづくりを進めることとし、07年度に新たに「三軒茶屋二丁目B地区市街地再開発準備組合」を設立、センター地区とそれぞれ事業内容を検討してきた。
しかし、二つの区域に分けて事業を実施する場合、まとまった面積の広場を確保することが困難で、拠点にふさわしい総合的なまちづくりができない。また、土地所有者の一部から準備組合加入への同意を得られないことといった課題も出てきた。打開策として地区を一体的に開発する方向で検討を再開、15年8月に二つの準備組合を解散し、現在の再開発準備組合を設立した。
これまでの話し合いでは、にぎわいの中心となる商業施設、都心型住宅の配置を中心に、公益的施設や広場などを設ける案が出ているという。準備組合では「長い時間を掛けてまちづくりの方向を探ってきた。解決すべき課題はあるが、権利者の合意形成を進め、将来もにぎわいを維持できるような計画を固めていきたい」と話している。17年度にも都市計画決定したい考えだ。
カラオケ店を訪れていた地元の女性グループは、「見慣れた町並みが変わるのはさみしい感じもする。でも、子供と一緒に楽しむことができる新しい街に期待したい」と話す。地域の防災力を高めつつ、一層のにぎわいの創出につながる新たな拠点整備に期待が高まる。
地区内の土地所有者は17人、借地権者は約100人、借家権者は約200人。事業コンサルタントを佐藤不動産鑑定コンサルティングと日本設計、設計コンサルタントを梓設計と日本設計が担当し、事業協力者として首都圏不燃建築公社、東急不動産、丸紅、大京、東急建設が参画している。
(建通新聞東京版2016年9月28日号掲載記事より)
2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催まであと4年を切った。都内で大規模な開発が進む中、勝どきや月島、晴海エリアを中心とする東京湾岸部は、五輪競技施設が集中し、選手村の建設も始まる目玉エリアだ。超高層マンションが立ち並ぶこのエリアでは、五輪開催決定を契機に街づくりが加速している。
特に勝どきでは、駅周辺で複数の再開発事業が進んでいる。中でも、「勝どき駅南側8、9番地区」は、15年11月に準備組合を設立したばかり。都営大江戸線勝どき駅の南東側に位置し、オーナーズホテルの「東京ビュック中銀」や「都営勝どき二丁目アパート」などが立地している。現在、基本計画素案をまとめている段階だ。
野村不動産(新宿区)と三井不動産レジデンシャル(中央区)が事業協力者として準備組合を支援する。コンサルタント企業としてアール・アイ・エー(港区)の参画が決まった。
具体的な施設機能やゾーニングはこれから検討することになるが、駅前の好立地であるだけに、拠点機能としての再開発が期待される。
五輪の競技会場が湾岸部に集中することから、交通など都市インフラが整備されることに対する期待感も高まっている。都営大江戸線勝どき駅は00年の開業当初、1日の平均乗降人員が約2.8万人だった。高層マンションの建設や晴海トリトンスクエアをはじめとするオフィスビルの建設などが相次ぎ、15年度には約9.8万人を超えるまでに増加。朝の通勤時間帯は特に混雑が激しく、出口への階段は大勢の人で埋まる。地上に出れば歩行者が輻輳(ふくそう)する状態だ。東京都によって駅ホームの増設工事が進められているものの、周辺整備の検討も必要となってくるだろう。
この他、近隣では18年1月の着工を予定している「勝どき東地区」の再開発で、4棟構成で延床面積約37万平方bの建物を擁する複合市街地が完成する。超高層マンションの建設が今後も相次ぎ、定住人口が増えれば交通インフラの需要は今後も高まるに違いない。
鉄道以外の交通インフラ整備では、都心と臨海副都心を結ぶBRT(バス高速輸送システム)で、環状2号線を通って新橋駅と勝どきを結ぶ「勝ちどきルート」が計画に含まれている。
これだけ大規模な街づくりはめったにない機会。周辺エリアの動向を踏まえ、将来の変化と需要を見極めた街づくりが求められている。
(建通新聞東京版2016年10月5日号掲載記事より)
JR金町駅の北口周辺は1950年代後半から住宅系市街地として開発が進んだ。地元の強い要望を受けて67年に開設された駅北口は、駅前の公団住宅の居住者や周辺の工場の労働者など多くの人々に利用されてきた。そして、ここ数年は大学進出がインパクトとなり、人の流れも、街並みも変化してきた。東金町1丁目西地区の再開発は、こうした状況の中で始動しようとしている。
北口周辺が転機を迎えたのは03年。長年にわたって操業してきた三菱製紙中川工場が閉鎖した時だ。広大な跡地18fをどう利用するべきか。地元・葛飾区は大学の誘致と都市計画公園づくりなどに乗り出した。その結果、東京理科大学が13年に葛飾キャンパスをオープンした。区は「葛飾にいじゅくみらい公園」を整備した。また、民間の大規模な住宅開発も進んだ。
街に活気をもたらした大学進出を地元は歓迎し、区も文教エリアとしての発展を促進しようとしている。昼間人口は増加し、若者を意識した店舗なども徐々に増えている。
その一方で、街が抱えていた昔からの問題も深刻化した。北口付近を東西に走る区道(通称・理科大学通り)の歩道があまりにも狭いのだ。歩行者が多く、平日の朝の時間帯には、歩道からあふれた学生たちが車道を歩く光景が見られる。歩道の拡幅を求める声は以前から大きかった。
こういった課題が顕在化する中で、東金町1丁目西地区で地権者主体の「まちづくり勉強会」が13年12月に発足した。今年3月には再開発準備組合の立ち上げにまで漕ぎ着けた。そして、6月には三菱地所レジデンスと三井不動産レジデンシャルの2社が事業協力者、佐藤総合計画がコンサルタントになった。
準備組合では、現在、超高層の再開発ビルに商業機能や業務サービス機能、自動車教習所、住宅を配置する計画案と、20年度の着工、26年度の完成を目指すスケジュール案が検討されている。
再開発は東金町1丁目西地区内にあるイトーヨーカドーと金町自動車教習所の敷地など約1.7fと、区が保有するまちづくり用地0.8fで進められる。区は準備組合に対して、歩行環境の改善とまちづくり用地の再配置を要望している。イトーヨーカドーと金町自動車教習所の西隣にある現在の区のまちづくり用地は、再開発事業区域内の東側部分に再配置し、北口周辺のまちづくりに整合させる。
区が求める条件を反映した、準備組合による計画素案が年内をめどに示されるという。
再開発は「北口を変える起爆剤」(葛飾区街づくり推進課)になるに違いない。都市基盤の改善と地域の活性化に対する地元の期待が高まっている。
(建通新聞東京版2016年10月12日号掲載記事より)
西武新宿線小平駅の北口を降りるとすぐ左手に駅前郵便局のポストが目に入る。駅前広場は無く、線路と平行した狭い道につながる。沿道には店舗と自宅を併用した低い建物が並ぶ。クランク状の道路は一方通行ではないが、車の擦れ違いはかなり難しい。
この美園町1、2丁目の約20000平方bで、小平駅北口地区市街地再開発準備組合が2017年度の都市計画決定を目指して権利者の合意形成を図っている。都市計画決定後、本組合設立と権利変換計画の認可手続きを行い、再開発ビルの工事に着手することとなる。
準備組合の宇根育伸理事長は、この地に電気店を構え、40年以上商売を続けてきた。小平駅北商栄会の会長も務めている。「ようやく準備組合まできた」と長い道のりを振り返る。「活動は加入促進に始まり、加入促進で終わる。まちのため、地域のためであればこそ」とこれまでの苦労を語る。
権利者は67人。このうち約8割の合意を得て15年9月に準備組合を設立した。総合コンサルタントとしてアイテック計画(新宿区)が参画している。今年8月21日に事業協力者を三菱地所レジデンス・野村不動産・東京建物JVに決め、9月26日には駅北口直近に準備組合事務所を開設。人を常駐させる形で権利者の窓口対応や事務作業もできるようにした。
地区内では、公共施設として北口駅前広場(約5000平方b)や都市計画道路3・4・19号線、3・4・14号線などの整備が構想されている。再開発施設のイメージはツインタワーで、下層部に商業施設、上層部に住宅を配置。駅と直結するペデストリアンデッキや広場状空地の整備を描く。都計道と駅前広場の形状変更も視野に入れながら、全体のプランを考えているところだ。
「両建物の2階部分をペデストリアンデッキでつなぎ、中間に大スクリーンを設置して、Jリーグの地元クラブチーム“FC東京”が行う試合を映し出せれば盛り上がる」と地元の声。広場ではイベントを開催し、周辺地域からも小平駅に集客させる「にぎわいを生み出す仕組み」をつくりたい考えだ。
再開発ビル内に「医療モールを設けてほしい」との声も。近くに多摩済生病院があるが、さまざまな医療機能を呼び込めば、高齢者が遠くに出掛ける負担を減らすことができる。
老若男女が集うことのできる駅北口の将来像が浮かぶ中、宇根理事長は「これからが楽しみ。再開発ビルが完成すれば皆、必ず喜ぶはず」と強調。残り2割の合意形成に向け“慎重に”かつ“スピード感を持って”話し合いを続ける。
(建通新聞東京版2016年10月19日号掲載記事より)
1927年に「新栄会」として産声を上げた駅前通りのフラワーロード商店街。空襲による戦災を免れ、戦後にはアーケードを設けて規模を拡大したが、今も古き良き昭和の雰囲気を漂わせている。高度経済成長期には商業のまちとして発展したものの、規制緩和の波を受け、ピーク時と比較して売り上げが半減。苦境を打開しようと周辺地区で再開発の話は幾度も持ち上がったが、その都度、形になることなく計画が立ち消えていった。こうした経緯があるせいか、今回の再開発に関しても、当初は「どうせできない」と諦めの声を漏らす人も少なくなかったという。
ところが事態は好転、徐々に再開発の動きが進展していった。地権者の結束や江戸川区と関連企業などの取り組みが実った結果だが、近隣地区で再開発が進んだことも新たなまちづくりへの機運を高めた。六丁目地区に先行して、七丁目西地区で再開発が動き始めていたのだ。やがて建設工事が始まり、巨大なビルが西地区に完成した。実際に新しいビルが立ち、人がにぎわっている風景を目にして、関係者にとっても再開発後のまちの姿をイメージしやすくなった。
約60人の地権者の多くは、若い世代の居住者の増加や商業施設の誘致などによる商業活性化、木密地域の減少策に伴う防災機能の向上を望んでいる。
区域面積は約13000平方b。具体的な再開発の計画は、区域を1〜3街区に分け、再開発ビルを3棟建設するというもの。住宅の他、店舗、事務所、自転車駐車場などを整備する。
1街区には鉄骨造10階建て延べ約7240平方bの再開発ビルを建設する。高さは約50b。主要用途は商業。敷地面積は約1040平方b。2街区のビルは鉄筋コンクリート造・鉄骨造地下1階地上30階建て延べ約27770平方b。高さは約110b。住宅の他、商業や業務の用途で活用する。敷地面積は約2900平方b。3街区には鉄筋コンクリート造・鉄骨造地下2階地上32階建て延べ約52040平方bの建物を建設する。高さは約110b。住宅、商業、公共駐輪場を配置する。
小岩駅南口エリアは、南口公園広場を中心に、放射状に「フラワーロード」「昭和通り」「サンロード」が通っている。今後本格化する七丁目地区の再開発も含め、これらの通りを周回道路(リングロード・幅員12b)で結び、これに合わせ区が街路事業で、JR総武線の高架下から側道を拡幅して北口ともリンクさせる計画だ。商店街をつなぐ買い物を楽しむ道としてだけでなく、まちを巡る散歩道としても機能しそうだ。
南小岩六丁目地区第一種市街地再開発事業の特定業務代行者と参加組合員は、いずれも清水建設(中央区)、野村不動産(新宿区)、タカラレーベン(新宿区)の3者で構成。特定業務代行者の代表企業は清水建設、参加組合員の幹事企業は野村不動産。コンサルタント業務は、タカハ都市科学研究所(港区)が担当。年内に組合設立認可を受け、2018年8月から順次、再開発ビル3棟の建設に着手する計画だ。
(建通新聞東京版2016年10月26日号掲載記事より)
東京・原宿竹下通りにほど近い渋谷区神宮前。表参道と明治通りが交わる神宮前交差点の周辺には、北側にラフォーレ原宿や東急プラザ表参道原宿などの商業施設が集まり、多くの若者でにぎわっている。
その中で交差点の南西角に位置する「神宮前六丁目地区」には、歩道と車道の区別が分かりづらい変形五差路がある。「まち歩きを楽しむ街」にもかかわらず、歩行者の安全・安心の確保について課題がある。また、築50年以上が経過した穏田区民会館といった老朽化した施設が交差点裏手にある。まちの再生に向けた取り組みが必要だという認識を各権利者が持っていた。
再開発地区の角地にある建物「オリンピア・アネックス」を2013年度に東急不動産が取得したのをきっかけに、東急不動産・東京メトロ・東京都・渋谷区の4者が再開発に向けた勉強会を立ち上げた。14年度からは地区内の地権者に事業参加を呼び掛け、15年8月に市街地再開発準備組合を設立し、早期の本組合設立認可を目指してまちづくりの検討を進めている。
再開発の対象は渋谷区神宮前6-31他の約0.3f。商業施設と公共施設を主要用途とする建物を計画しており、新施設は地下3階地上10〜11階建て程度、延べ床面積約23000平方bを想定している。地区計画で建物高さは、表参道側は最高30b、明治通り側は最高60b、屋上緑化など通じて表参道のケヤキ並木から明治神宮へのグリーンベルトを創出する考えだ。
また、まち並みの連続性を確保するため荷さばき場と駐車場は地下部に設置する。荷さばき場は地下2階、駐車場は地下3階に配置する。
再開発計画敷地内には東京メトロが副都心線建設時に設置した変電施設がある。今回の計画では地下にある変電施設を残したまま同施設の上に新施設を建設する。
渋谷区は再開発に合わせて変形五差路の区道第630号を廃止する方針。同道路は神宮前交差点からエリアの南西方向に通る狭隘(きょうあい)道路で、ピーク時には歩行者が変形五差路内に多数滞留するため、事故の危険性が指摘されていた。10月27日、区の本年度第3回議会定例会で廃道を議決している。また、渋谷区は再開発敷地南側の区道623号を6bに拡幅し、さらに再開発エリア西側に幅員4bの歩行者専用通路を準備組合が新たに設置し、歩行者ネットワークの強化拡充を図る。
準備組合では新施設を「細分化された土地を集合的に活用し、神宮前交差点と言えばココと言われる”神宮前の顔”にしたい」との思いで事業に当たる。本組合設立認可後は、17年度末を目標とする権利変換計画手続きと並行して施工者を選定する。18年度に着工、20年度までの完成を目指す。
基本設計は日建設計(千代田区)、事業コンサルタントはタウンプランニングパートナー(千代田区)が担当している。
(建通新聞東京版2016年11月2日号掲載記事より)
高度経済成長期に、日本初の民間による特定街区として整備された「常盤橋街区」。東京駅の日本橋口前の一等地に位置するものの完成から約50年が経過し、更新期を迎えている。
街区内には、▽日本ビル▽朝日生命大手町ビル▽JXビル▽大和呉服橋ビル▽JFE商事ビル―が立地。これらの物件と、都心の機能を支える下水ポンプ場や変電所、首都高速道路八重洲線と直結する都市計画駐車場などのインフラが一体化しているという特徴を持つ。このため、「街区の再生」と「都心を支えるインフラの維持・更新」という二つの課題をどうクリアするかが大きな焦点となっていた。
そこで、地権者である三菱地所(千代田区)らは近接する大手町地区で進めている「連鎖型再開発」のスキームを用いて、街区の再整備に着手することにした。種地に新たな建物を建築して地区の地権者が移転し、その跡地を次の建て替え用地として順次、連続的に街区を更新する手法だ。事業区域を常盤橋街区にまで拡大し、第4次事業として着手する。段階的に建て替えることで、インフラ機能を維持しながらの更新が可能になる。
千代田区大手町2丁目と中央区八重洲1丁目にまたがる敷地面積約31400平方bを対象に、「常盤橋街区再開発プロジェクト」として開発する。関係権利者は三菱地所の他、東京都下水道局、大和証券グループ本社、三越伊勢丹、東京電力、大手町開発、URなど。
再開発の青写真として、三菱地所が2015年8月にプロジェクトの概要を明らかにした。高さが日本一となる約390bのビルを含めた計4棟・総延床面積約68万平方bの建物が誕生する。
計画では、事務所と店舗、駐車場などの機能を持つA棟(地下5階地上37階建て延べ約14万平方b)とB棟(地下5階地上61階建て延べ約49万平方b)、変電所と店舗を中心としたC棟(地下4階建て延べ約2万平方b)、下水ポンプ場機能を持つD棟(地下3階地上9階建て延べ約3万平方b)の4棟を整備。地下変電所となるC棟の地上部には、約7000平方bの大規模広場を確保する。
三菱地所設計(千代田区)が設計を担当。約4946億円の総事業費を見込む。全体の完成は約10年後の27年度だ。
現在、建設当時に「東洋一の大規模ビル」と称された日本ビルの解体が進んでいる。同ビルの地下には東京都の下水ポンプ場が合築されていることから、大規模ビルの解体では珍しい縁切工事を採用している。
まず建物を南北に分割し、新しい下水ポンプ場(D棟)の建設用地となる北側を先行して解体。既存ポンプ場を含む残存部分の南側は耐震改修し、17〜22年度の5年間、賃貸ビルとして稼働を継続し、D棟の完成後に機能を移転した上で解体。跡地には最高層となるB棟を建設する。他の既存ビルも17年度以降から順次解体を始める。
常盤橋街区では、国際競争力強化の観点から、都が推進する「東京国際金融センター構想」を支える国内外の金融機関・人材の集積、交流拠点の導入が検討されている。多くの大手企業が拠点を構え、交通アクセスの中心的役割も果たす東京駅周辺。エリアが持つポテンシャルをさらに高める役割を担う同街区で、老朽化した施設の更新だけでなく、立地を生かした東京五輪の“先”を見据えた街づくりがすでに始まろうとしている。
(建通新聞東京版2016年11月9日号掲載記事より)
大正から昭和初期にかけて、都内におけるモノづくりの拠点が集積し、山手線沿線の有数な工業地帯として隆盛を誇った大崎駅周辺地区。しかし、戦後の高度成長とオイルショックを経て1970年代中盤に差しかかると、工場の転出が目立ち始め、跡地にはマンションやオフィスビルが建設されるようになる。品川区では、こういった土地利用の転換に対応するため大崎駅周辺のまちづくりに一定のルールを設け、無秩序な開発を防ぐ取り組みを進めてきた。
その後、1982年には大崎駅周辺が東京の副都心としても位置付けられ、東口地区の開発が先行する形で整備が進んだ。特に品川区の再開発第1号となった「大崎駅東口第1地区」(大崎ニューシティ)の完成をきっかけに周辺の大規模開発が加速、この動きは順に東五反田地区、大崎駅西口地区へと展開してきた。
JR五反田駅と大崎駅間の中間に位置する「東五反田二丁目」。ここでもまた、新たに再開発事業の機運が高まりを見せている地区がある。今年3月、東五反田二丁目第3地区第一種市街地再開発準備組合(山田保行理事長)が発足、周辺に立ち並ぶ大型マンションや大規模オフィスとは対照的なまちなみが今も残るエリアが、地域の再生に向けて動き出した。
対象区域は大崎駅周辺地域都市再生緊急整備地域(約60f)の内側に位置する東五反田2-12〜14の約1.5f。周囲の開発とは趣を異にする一般家屋やプレス工場の建屋、印刷会社の社屋などがあり、細い路地が地区を貫いている。北側の小中一貫校(区立日野学園)、南側の目黒川に面した三角形のエリア内には映画やテレビ、CMの映像製作を手掛けるIMAGICAの映像センターもある。
通りを挟んだ東側にできた「東五反田二丁目第1地区」(オーバルコート大崎)や北西側の「東五反田二丁目第2地区」(東京サザンガーデン)の完成、さらに南東側で進められてきた市街地再開発事業である「北品川五丁目第1地区」の完成により、かつての工場集積地としての面影をわずかに残すこの「第3地区」でも再開発に向けた気運が高まり、まちの再生に向けた地権者の話し合いが始まった。
15年1月にはまちづくり協議会が発足、今年3月23日には準備組合が設立した。地権者14者のうち12者が組合に加入、新たなまちづくりの在り方について検討がスタートしている。具体的なスケジュールや規模は未定だが今後、早期の都市計画決定に向け協議を進めるという。事業協力者として竹中工務店(江東区)が参画、事務局を務めている。
大崎駅周辺ではこのほか、07年9月に大崎三丁目地区、14年8月に大崎駅西口駅前地区、15年9月には大崎駅東口第4地区で準備組合が発足した。個々の事業が着実に具体化し、良好な都市景観や都市環境の形成が進めば、これまで以上に「歩きたい」「住みたい」「働きたい」まちの実現に近づくことになりそうだ。
(建通新聞東京版2016年11月30日号掲載記事より)
飯田橋の地名の由来は1590年にさかのぼる。徳川家康が、江戸城周辺の状況を尋ねた農民の名前を拝借し、一帯を「飯田町」と名付けたという。町は江戸時代に旗本屋敷として栄え、明治維新を機に寂れ、昭和の戦争で空襲に焼かれ―と紆余曲折を経て、1966年に「飯田橋」へと名前を変えた。江戸城外堀に架かる町名を冠した橋の名が、今では町の名として定着している。
「飯田橋」は、今もコンクリートの橋として目立たぬ姿を残している。橋の周辺では外堀通りと目白通りが交わり、首都高速5号池袋線、JRの線路が通り、道路下には東京メトロ有楽町線まで通過する。土地もすでに高度利用されている状況で、背の高いビルが立ち並んでいる。
飯田橋駅東口周辺は交通の要衝で人通りも多いエリアにもかかわらず、広場空間がないことが課題になっていた。そこで、今回の飯田橋駅中央地区再開発事業で「駅前広場一体型複合都市拠点」を形成する計画となった。地上と地下をつなぐゆとりある駅前広場を確保し、大災害時には帰宅困難者の一時待機スペースとして活用する。広場に面するスペースには店舗ゾーンを整備する予定だ。 再開発地は千代田区飯田橋4-8他。区域面積は約1f。従前権利者数は50人(土地所有者41人、借地権者9人)。従前建物数35棟。15年度に準備組合を設立。17年度に都市計画決定し、18年度に組合を設立する予定。19年度に権利変換計画の認可を受け、20年度に解体工事と本体工事に着手する計画。24年度の完了を目指す。
事業協力者として野村不動産(新宿区)と大成建設(新宿区)が参画している。
再開発ビルについては、業務・商業・住宅などの用途で活用する予定。詳細は今後具体化する。用途地域は商業地域(容積率500〜700%)と第二種住居地域(容積率400%)。現在は、容積率の緩和などに関して行政と協議を進めている。オフィス中心の再開発ビルを想定している。
飯田橋駅周辺エリアでは、複数箇所で再開発計画が進んでいる。西口で「富士見二丁目3番街区」、東口で「飯田橋駅東地区」の準備組合が設立されている。さらに「飯田橋3-9周辺地区」でも再開発事業に向け協議が進んでいる。
このように、駅周辺の再編が進む中で、駅そのものの移設まで実施されている。JR東日本(渋谷区)は、飯田橋駅の安全対策としてホームを200b西側に移設する事業に取り組んでいる。現在は、ホーム移設先の線路改良を実施中。すでに改札口は整備済みで、新たな西口駅舎の完成に向けて工事を進めている。
西口エリアで再開発が進んでいることに加え、ホームの移設に伴い「東口エリアへの人の流れが減ってしまうのでは」と今後を危惧する地権者の声もある。ただ、近隣にある再開発エリアは競争相手であり連携相手でもあるだろう。江戸時代に隣接する旗本屋敷がお互いに意識し合い、発展してきたであろう景色とどこか重なる。
(建通新聞東京版2016年12月7日号掲載記事より)
東京の臨海部と都心部に挟まれた場所に位置する中央区月島。明治25年(1892年)に東京湾澪浚(みおさらい)工事の第1号地として創出された埋立地で、約60×120bの格子状に街区を計画的に整備。地場産業に関連した工場・倉庫などが立ち並び、そこで働く人たちが暮らす住宅や商店などが混在するエリアとして独自の発展を遂げてきた。近年では、銀座に近いという立地の良さを売りにしたマンション開発が進んでいる。ただ一方で、細街路や老朽化した低層の木造建築物が密集している地域では、依然として個別の建て替えが進まず、建物の不燃化や耐震化の遅れなど防災上の課題を抱えている。
中でも月島三丁目地区は、東京都の地震に関する地域危険度調査で、総合危険度が区内で唯一ランク4に位置付けられ、防災性の向上が急務となっている。
地元では2011年3月、月島三丁目地区再開発準備組合が発足し、事業の具体化に向けた検討が進められている。再開発の対象エリアは、月島3-1の一部、同18・19、同20の一部、同21〜23、同24の一部を合わせた約1.6f。再開発事業の施行により、木密地域の解消や広場の整備を促進。併せて、月島の顔ともいえる区域南東側の「月島西仲通り商店街(もんじゃストリート)」の回遊性を高めることで、にぎわい軸の形成を促すことも目指す。
今年6月、同準備組合は、月島西仲通り商店街沿いのA地区(敷地約10100平方b)に住宅(1100戸)、商業・業務、保育園、地域貢献施設などで構成する地下1階地上58階建て延べ床面積約135000平方b、高さ199bの高層棟を建設する計画案を公表した。また、隅田川沿いで西側のB-1地区(児童遊園を除く敷地約500平方b)には、店舗やグループホームなどの施設(5階建て延床面積約1400平方b)、東側のB-2地区(敷地900平方b)には、住戸35戸(7階建て延床面積約3400平方b)の建設をそれぞれ計画している。
事業協力者として五洋建設(文京区)と首都圏不燃建築公社(港区)、コンサルタントには大建設計(品川区)とパシフィックコンサルタンツ(千代田区)が参画。16年度内に参加組合員を決定する見通し。17年度中の都市計画決定を目指す。
(建通新聞東京版2016年12月14日号掲載記事より)
西武国分寺線と西武拝島線の2路線が乗り入れる小川駅。東口で駅前広場と2車線道路が整備されているのと対照に、西口は駅前広場がなく、タクシーなどの車は駅前に乗り入れることが難しい。駅から階段を下りると左手に交番、喫茶店、化粧品店が並び、右手にはコンビニと倉庫、駐車場がある。線路と並行に小川駅前通り(都道131号)が走っているが、幅員が狭いため歩行者や自転車、自動車が入り交じり危険を感じる。
この小川駅西口駅前の約11000平方bで、小川駅西口地区市街地再開発準備組合(高橋英明理事長)が2018年度の都市計画決定を目指して地権者の合意形成を進めている。都市計画決定後、本組合設立と権利変換計画の認可手続きを行い、再開発ビルの工事に着手することになる。高橋理事長は「オリンピックなどで工事費の高騰があり、当初の事業規模を見直して建設費を抑えた。22年前後の完成に向けて事業を進めていく」と話す。
小平の地名は、初めて開拓されたところが小川村で、地形が平らだったことから名付けられたという。「小川という地名は江戸時代の享保(きょうほう)までさかのぼれる、小平市発祥の歴史ある場所。長く住まわれている人にも、これから住む人にも、ここに住んで良かったと思われるまちにしたい」。
再開発エリアでは、高さ100b未満の超高層タワー型ビルを建設する。建物は商業施設、公共公益施設、住宅で構成。再開発ビルに隣接して市民広場も整備したい考え。都市計画道路小平3・4・12号線は、ボトルネックとなっている都営小川西町4丁目アパート付近から再開発事業と一体的に整備され、駅前広場が確保される。駅前広場と再開発ビル、市民広場で回遊性を持たせ、近隣の商店街とも連携して来街者を呼び込みたい。
準備組合は07年5月に設立し、地権者39人のうち32人が加盟している。事業協力者として旭化成不動産レジデンスが参画する。
高橋理事長が西口駅前に喫茶店を構えたのが35年前。これまで計画が浮上しては消え、また浮かんでは消えていた。「市は再開発事業の経験が無く、担当職員が慣れてきたらところで人事異動で離れてしまうということもあった」。暗中模索でやってきたが、再開発事業の先進地区の事例も10カ所以上見学して将来像を描いてきた。
「以前は盆踊りやお祭りを開く場所も無かった。市民広場ができれば大勢で集まり、イベントができる。地域の方々のつながりが多く持てるのではないか」と話すとともに、「皆さん前向きに考えている。事業の方向性が決まったら時間はかからないと思う」と語る。市民広場で地域住民が盆踊りをする姿を見られるのも、そう遠くない。
(建通新聞東京版2016年12月21日号掲載記事より)
京成電鉄押上線の「立石駅北口地区第一種市街地再開発事業」が2019年度ごろの着工を目指して着実な歩みを進めている。葛飾区は都市計画法第16条に基づく説明会を1月中に開催し、「地区計画原案」を利害関係者に提示する予定だ。
「都市計画素案作成に向けての経過報告会」を16年5月に開いていた同地区市街地再開発準備組合(徳田昌久理事長)は、東京都をはじめとした関係機関との協議が11月に調ったことを受けて「都市計画手続き開始に向けた再開発計画説明会」を同月末に開催していた。
立石駅は、現在の葛飾区庁舎の最寄り駅であり、駅と庁舎はわずか500bほどの距離にある。区の「都市計画マスタープラン」でも同駅北口地区は広域行政拠点と位置付けられており、区の総合庁舎整備基本構想でも総合庁舎整備の「最優先候補地」とされている。それでも初めてこの駅に降り立った人の目には、昭和の名残が色濃い、これと言って特色のない普通の私鉄駅近傍の風景としか映らないかもしれない。
駅の北口周辺を歩いてみると、駅と区役所を結ぶ動線の人と自転車の往来こそ頻繁だが、ひとたび路地裏に入れば日中にもかかわらず薄暗く、居宅の軒先や窓辺に見えるもの以外、緑らしい緑も見当たらない。既存不適格建築と思われる店舗兼住宅や木造モルタルアパートなども混在した、地震や火災などが発生しようものなら、避難や消火活動が困難になりそうな典型的な木密地域だ。
そこで区は、住民が安全・安心に暮らせるよう、建築物を不燃化して防災性を向上させ、新たに創り出す都市機能も加えた「にぎわいと交流の場の形成」を目標にした都市計画素案をまとめた。その中核が同地区の第一種市街地再開発事業だ。
素案によると、同駅北口地区をA〜Cの三つのゾーンに分け、Aゾーンに西街区(約7130平方b)、Bゾーンに東街区(約4650平方b)を形成。A、Bゾーンの間のCゾーン(約3800平方b)には一部Bゾーンも加えて区画街路第3号線を新設し、交通広場を整備して交通結節点としての機能を持たせる。西街区には延べ約81100平方b、地下2階地上36階建てのビルを建設し、この中に約600戸の住宅や店舗、約230台収容の駐車場や駐輪場などを設ける。東街区にも地下3階地上13階建てのビルを建設し、一部を商業テナントや駐車場(約90台)などに充てる。
16年度内に都市計画決定できる見通しが立ち、再開発事業への権利者の理解が広がってきたことで、区と準備組合が想定していた17〜18年度ごろの再開発組合(本組合)の設立、18〜19年度の権利変換計画の認可がその視界に入ってきた。
(建通新聞東京版2017年1月11日号掲載記事より)
飯田橋駅周辺エリアで再開発事業が連鎖的に進んでいる。JR飯田橋駅西口側の「富士見二丁目3番街区」は、2009年に完成した再開発ビル「飯田橋プラーノ」と、14年に完成した「飯田橋サクラパーク」の間の約1.3fが対象だ。富士見二丁目3番街区市街地再開発準備組合は、まちの機能更新とともに、再開発が先行した街区・プラーノとサクラパークをつないだ一体的なまちづくりを目指し準備を進めている。17年度の都市計画決定、東京オリンピック・パラリンピック終了後の工事着手が目標だ。
街区内に日本歯科大学付属病院があることから、準備組合では医療と福祉を核とした再開発の可能性を探るため、山形県酒田市の「中町サンタウン」を参考に事業計画を検討している。中町サンタウンでは病院や介護老人保健施設、診療所、商店街、住宅などを複合した新しいまちを再開発で概成した。自慢は『医療と福祉、商店街が一体となって市民に優しい、人々が集い安心して住み続けられるまち』。富士見二丁目3番街区の将来像はこれに重なる。
準備組合では今後施設計画などをまとめ、地元地権者らの合意を形成。都市計画決定を経て本組合へ移行し、権利変換計画の策定などの作業を行う。参加組合員などの協力者も今後募集する計画だ。
これまでのコンサルタント業務は日建設計、事業協力者の前田建設工業が事務局を担当している。
*
計画地周辺を歩いた。
「飯田橋」の地名は千代田区にあるが、鉄道の「飯田橋駅」は、JR線と地下鉄東西線が千代田区、有楽町線・南北線が新宿区、大江戸線は文京区に所在。飯田橋で三つの区が交わる格好だ。
富士見二丁目は千代田区にある。江戸城の名残の外堀に面し、武家屋敷が立ち並んでいた“山の手の下町”。JR飯田橋駅西口側には江戸時代の面影をとどめる牛込見付跡の石垣が残り、少し足を延ばすと『東京のお伊勢さま』といわれる東京大神宮がある。ビルの隙間に鎮座するのは桐生稲荷神社。まちの所々に時間が止まったような空間が残る。
富士見二丁目町会は「当町会には名のある建物が多数存在し、大学や病院など教育・医療機関も充実している。JRと4本の地下鉄が走る極めて交通の便が良い立地。緑が多く、住むにも働くにも良いまち」と歴史性と近代性をアピールする。
再開発で建設するビルは、設備を更新すれば優に100年以上は長持ちする建物になる。まちのランドマークとして「新しいのに懐かしい」まちへの再開発の実現を期待したい。
(建通新聞東京版2017年1月18日号掲載記事より)
板橋区大山町地区にあるハッピーロード大山商店街には、東武東上線・大山駅付近から川越街道までの延長560bのアーケードに200を超える商店が軒を並べる。1日に3万人を超える来街者があり、年々増えている。
商店街の活気には訳がある。それは、集客のための多様な仕掛けだ。「とれたて村」もその一つ。全国の17市町村と契約し、採れたての野菜や特産品を置いている。また、イベントスペース・ハッピースクエアではほぼ毎日、地方の物産展やミニライブなどのイベントを開いている。
「お客さんが毎日来たくなる商店街にすること」。ハッピーロード大山商店街振興組合の石川政和理事長は集客についてそう話す。中小企業庁の「がんばる商店街77選」にも選ばれた。
人通りの絶えない商店街だが問題もある。チェーン店が6割以上を占めるようになり、「個人店が減る中で、商店街の特色をどう出すかが課題だ」(石川氏)。また、インターネット通販の普及により、物販店などで経営に厳しさが増してきた。
さらに、全国で大地震が頻発するいま、防災の課題も切実だ。表通りから脇道に折れると、消防車が入れない狭い道に古い木造住宅が建ち並ぶ。災害に弱い木造住宅密集地域が広がっているのだ。
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東京都は2012年、「木密地域不燃化10年プロジェクト」をスタートさせ、大山商店街のある大山駅周辺西地区(9.6f)を不燃化特区に指定した。再開発事業や共同化によって建物を不燃化する。また、延焼遮断帯や避難・救援路として都市計画道路・補助第26号線を整備する。
26号線は大山町地区のほぼ中央を375bにわたって通過する幅員20〜23bの道路だ。都は15年2月、国から事業認可を得て建設事業をスタートした。
26号線の整備によって商店街は変貌する。商店街のほぼ中央の約3分の1の区間が26号線にかかり、アーケードを取り壊して道路を拡幅する。また、大山駅から離れた約3分の1の区間は26号線によって駅方面から分断される。「道路を造るだけで何もしなければ商店街は壊滅する」と石川氏は言い切る。
建物の不燃化とともに商店街のにぎわいの維持のため計画されているのが「クロスポイント周辺地区」と「ピッコロ・スクエア周辺地区」での市街地再開発事業だ。
クロスポイント周辺地区は、26号線が通る商店街の中央部の約0.9f。四つの街区に分け、低層部に店舗を配置して開発して商店街の連続性を保つ。15年4月に再開発準備組合を設立した。17年10月の都市計画決定、19年2月の着工を目指す。
一方、ピッコロ・スクエア周辺地区は、大山駅から離れた約1.2f、多目的広場を中心に、新たなにぎわいの拠点を整備する。26号線建設に伴う移転希望者の受け皿にもなる。15年2月に再開発準備組合を設立した。18年2月の都市計画決定、20年3月の着工を目指す。
◇ ◇
石川氏は、ピッコロ・スクエア周辺地区の再開発準備組合の理事長も務める。「施工期間を含め、将来にわたって街のにぎわいをどう保っていくかが問題。ハードルは極めて高い」と話す。そして「行政や学識経験者、事業協力者を含め関係者が緊密に連携し、英知を出し合っていかなければならない」と強調する。地元では連日のように会議を重ねている。
「商店街は、時代に合わせ、さまざまな機能のそろった地域の核として、みんなが楽しく過ごせる場所でなければならない」。石川氏はそう将来を見据えている。
(建通新聞東京版2017年1月25日号掲載記事より)
小岩駅周辺では、三つのエリアで再開発が進んでいる。「南小岩六丁目地区」では、2016年12月に組合を設立した。「JR小岩駅北口地区」は、18年度の組合設立に向けて準備に取り組んでいる。そして今回スポットを当てる「南小岩七丁目地区」。同地区では、市街地再開発事業と土地区画整理事業の一体的施行を計画している。一体的施行は一般的に難易度が高いと言われているが、具体的に何がどのように難しいのか。
今回の一体的施行について、施行者の面で見ると、再開発事業は組合施行、土地区画整理事業は江戸川区施行と事業主体が異なる。区域構成は、土地区画整理事業区域の中に再開発区域が含まれる格好だ。これだけではまだピンとこない。しかし、権利者の意向に目を向けると事業の性格が見えてくる。
再開発区域内の権利者の中には、再開発ビル内に権利を取得せず、区域外への転出を希望する人が少なくない。一方で、再開発区域から外れた土地区画整理区域内の権利者でも、再開発ビル内の権利に興味を持つ人もいる。つまり、権利者の意向にあわせ、転出と転入の権利を調整しながら、再開発と区画整理を同時に推進しようというのが今回の計画なのだ。
難易度の高さは、権利の調整にある。転出と転入のバランスがとれるか、バランスがとれたとしてその中で権利をどう調整するか。権利者にはそれぞれ思いがあるだけに、具体的な形に落とし込むまでに時間を要することは想像に難くない。
さらに今回の計画では、老朽建築物等除去事業も組み合わせ、“三位一体”でまちづくりに臨むという。老朽建築物等除去事業とは、新たなまちづくりのために老朽化した建物の解体を促進する事業で、補助金により解体をバックアップする。
区画整理事業区域には木造住宅が密集しており、元々道路などの公共用地の割合が少ない。そのため、区画整理の実施に伴う減歩率は23%に達してしまうという。そこで同区は、同区内の標準的な15〜18%にまで減歩率を緩和することを目指し、同事業の補助金を活用。所有者に既存の老朽化した建物を解体してもらい、その跡地を区が買い取る手法を用いて土地取得を進め、減歩率の低減に結び付けたい考えだ。
再開発・区画整理エリア全体の面積は4.9f。再開発ビルは商業施設棟と住居棟で構成する予定。コンサルタントとしてアール・アイ・エー(港区)が参画。17年度に事業協力者を選定し、計画を具体化していく。再開発の準備組合員は119人。地区全体の権利者数は約300人。
今後の再開発は、17年度中の都市計画決定、20年度の組合設立を目指す方針だ。21年度に権利変換計画をまとめ、最短で22年度に着工することを想定している。区画整理は、18年度の事業計画決定、20年度の着工を目指す。
(建通新聞東京版2017年2月1日号掲載記事より)
東急池上線の荏原中延駅から北西に歩いて約5分。隣駅にある、国内屈指の規模を誇る「戸越銀座商店街」とはやや趣を異にするものの、地元の買い物客でにぎわう商店街を抜けたところに、老朽化した木造家屋が密集するエリアがある。
区立中延小学校と道路を隔てて向き合う中延二丁目、0.7fのこの地区は、関東大震災の復興を目的に同潤会(当時)が整備した一戸建て住宅街。大正から昭和初期にかけて整備された当時の面影を、わずかだが今でも残す家々が点在する。
戦前からのまちなみが残っているといえば聞こえはいい。ただ、敷地の半数近くは60平方b未満と狭く、道幅もほとんどが2bに満たない。車の通行ができないのはもちろん、場所によっては向こうから歩いてきた人とのすれ違いにも注意を要するほど狭い道が残っている。また、未接道の敷地もあることから、単独での建て替えは極めて困難な状況だ。
課題はまだある。地区内の住宅の9割は木造で、旧耐震の建物も全体の8割を超える。ひとたび火災が発生すれば延焼の危険性があり、対応の重要性が指摘されてきた。古い木造家屋がひしめくこの住宅街に暮らす居住者の高齢化も深刻だ。今では住民の4割が65歳を超えた。この数字は品川区全体の2倍以上の高齢化水準だという。
このように山積する課題の解決に向け、地元では早くから地域の再生に向けた検討が進められてきた。
一方、木密地域の防災性向上と快適性の確保は行政にとっても重要な政策課題だ。品川区もこのエリアの危険性を認識し、地域と連携しながら解決策を模索してきた。
そうした取り組みが実を結び2010年12月、地域住民による「防災まちづくり検討会」の発足に漕ぎ着けた。12年1月には東京都が「木密地域不燃化10年プロジェクト」の実施方針を策定。不燃化特区先行実施地区である「東中延一・二丁目、中延二・三丁目地区」のコア事業としてこのエリアの不燃化を強力に推進していくことが決まった。
12年3月には「中延二丁目旧同潤会地区防災街区整備事業」の準備組合が発足、住宅の共同建て替えに向けた具体的な取り組みがスタートした。15年4月の都市計画決定後、翌16年2月には事業組合の設立認可を得た。都市計画決定から権利変換計画認可までの期間も約1年半と、この種の事業としては異例の早さで手続きが進んだ。このように各種の手続きがスムーズに進んだ背景には、行政のバックアップもさることながら、当事者である地元住民の意識の高さと、課題解決に向けた強い意思があったことは想像に難くない。
同事業では、古い木造住宅86棟を解体した跡地に、鉄筋コンクリート造地下1階地上13階建て延べ16120平方bの共同住宅を建設し、区画街路や公園などを整備する。建物の高さは約40b、住戸数は約200戸を見込む総事業費約97億円のプロジェクトだ。参加組合員として旭化成不動産レジデンス(新宿区)、首都圏不燃建築公社(港区)が参画しており今後、施工者選定に向けた準備が本格化する。18年度の完成に向け6月には本体工事が始まる見込みだ。
(建通新聞東京版2017年2月8日号掲載記事より)
IHIの造船所や東京電力の新東京火力発電所などに代表されるように、豊洲はかつて工業地帯として発展した。現在では活発な民間投資により超高層マンションが林立し、街並みは大きく変貌を遂げている。そんな豊洲エリアの中でも、東京メトロ有楽町線と新交通ゆりかもめの豊洲駅に面し、ひときわ目立つ好立地で、大規模再開発が進んでいる。
「豊洲二丁目駅前地区第一種市街地再開発事業」は、1939年から豊洲で造船工場を操業してきたIHIの土地を活用。このうち豊洲駅前の「2街区」は三つの街区で構成している。これまでに「2-2街区」には江東区の出張所や図書館、文化センターなどの機能を備えた公共施設「豊洲シビックセンター」が、「2-3街区」には東京消防庁深川消防署豊洲出張所が相次いで完成した。そして、「2-1街区」には、三井不動産(中央区)が代表施行者となりA〜C棟の3棟の建設を計画している。このうちA棟とC棟は2016年12月に大成建設(新宿区)の設計・施工で着工した。約19100平方bの敷地に、地下2階地上36階建て延べ約184000平方b、最高高さ約180bの再開発ビルを建設する。
A棟の33〜36階部分には三井不動産グループ直営のホテルを配置。約225室の客室を供給し、ビジネス需要だけでなく、銀座や湾岸エリアを訪れる観光客も取り込みたい考えだ。C棟内には開発街区の内外に電気と熱を供給するエネルギーセンターを整備する。
20年4月の建物完成、同年6月下旬のホテルオープン、20年度上期の商業施設開業を目指す。
17年12月に着工するB棟は延床面積約75000平方bのオフィスビルを想定。階数など詳細は未定だが、20年度下期の完成を目指している。
* * *
豊洲駅は1988年の東京メトロ有楽線の駅開業、2006年のゆりかもめ延伸を経て交通利便性の向上が図られた。06年には「三井ショッピングパーク アーバンドックららぽーと豊洲」が開業。その後、周辺の街区ではオフィスビル「豊洲センタービル」や分譲マンション「アーバンドックパークシティ豊洲」など、オフィスや住宅の開発が進んだ。2-1街区全体が完成すれば、これらの機能がさらに拡充され、商業施設、公共施設、ホテル、住宅、公園といった「職・住・遊・学」そろったさまざまな機能が駅前に集結することになる。
「職住近接」は政府が推進する「働き方改革」を実現するための選択肢の一つでもある。迫り来る人口減少や超高齢化社会に対応した街づくり。都市交通の混雑緩和にも必要な視点だろう。新たな開発によって街が成熟するにつれ、エリアとしてのポテンシャルもさらに高まっていく。
(建通新聞東京版2017年2月15日号掲載記事より)
東京都内を一周する山手線全29駅の中で最も新しい駅をご存じだろうか。46年前の1971年4月20日に開業した西日暮里駅は、営団地下鉄(現東京メトロ)千代田線の乗換駅として新設された。近年では日暮里・舎人ライナーの開通なども経て、3路線が接続するターミナル駅となっている。その西日暮里駅前で具体化の検討が進められているのが「西日暮里駅前地区市街地再開発事業」だ。
対象予定地区は、西日暮里駅北東側に位置する荒川区西日暮里5-32〜37と同38の一部で、道灌山(どうかんやま)通りと尾久橋通りに囲まれた敷地約2.3f。
地区内を歩くと、日中でも敷地南側の道灌山通りは交通量が多い。ただ、その喧騒を離れ、路地裏に一歩入ると様子が一変する。街区整備後に駅が新設されたためか、人の導線が駅前にもかかわらず不十分で、道幅も狭い。緊急車両の侵入もままならないだろう。建物は経年劣化した低中層のビルや店舗兼住宅が多い。一戸建てが密集した街区もある。
荒川区は、地区内にある旧道灌山中学校跡地と在宅高齢者通所サービスセンター、ひぐらし保育園を合わせた約5500平方bの用地を所有する最大の地権者として再開発準備組合(14年6月設立)に参画する。事業を通じて▽にぎわい向上や活性化▽土地・建物の高度利用▽区有地の有効活用▽空地・広場の確保―などを進め、地域の課題を解決したい考えだ。
同事業では地区内を「南側街区」「北側街区」の二つで構成する。基盤整備では、街区内の細街路を廃止。新たに外周道路(幅員12b)を設けて宅地を創出する。併せて、南側街区では既存の区道691号線(藍染川西通り、幅員10b)を活用して道灌山通りに面した交通広場を整備する。これにより、駅前のタクシー乗り場の混雑緩和など交通結節機能を強化する考えだ。
一方、北側街区では総延べ床面積約141000平方b規模の再開発棟の整備を想定。住宅・業務・商業機能に加え、区有施設として約1500人収容の大ホールや、地区内にある既存のひぐらし保育園と西日暮里在宅高齢者通所サービスセンターの代替施設を設ける。また、災害時の帰宅困難者の受け入れを想定した備蓄物資の収納スペースも設置する。現在のところ、住宅・業務棟と別棟の商業棟の上階にホール機能を置く配置案を基本に検討している。
同事業では、事業協力者として野村不動産・三菱地所レジデンスの共同企業体が参画する。事業コンサルティング業務を都市設計連合(港区)、基本計画を梓設計(品川区)が担当している。地権者は79人で、再開発準備組合には約7割の55者が参加。今後、基本計画素案などを固め、18年度に都市計画決定したい考えだ。
(建通新聞東京版2017年2月22日号掲載記事より)
飯田橋駅周辺エリアでは、現在、再開発に向け動いている地区が4カ所ある。すでに完成している地区を含めると6カ所と、再開発密集地区となっている。全て完成すると、線路沿いがほぼひとつながりに刷新される格好だ。生まれ変わるのは建物だけではない。千代田区は、2006年の基本構想に基づき、再開発エリアを貫く都市基盤の整備も着々と進めている。
飯田橋駅周辺エリアの地域特性は、目白通りの東側と西側で大きく分かれる。東側エリアには商業施設が密集しており、西側は住居の他、学校や病院が複数立地している。こうした現在の施設の状況や用途地域などを踏まえた上でまちづくりを推進するわけだが、複数の再開発エリアが隣接する場合には、単発の再開発よりも連動性の高さが求められる。
建物の場合、その機能の分担や景観の統一感などが求められるかもしれないが、道路のあり方は、より密接な整合性が必要だろう。行政区の境界で、いきなり車道が狭くなったり広くなったりして驚いた経験がある人は少なくないはずだ。道路の場合には、利用者の利便性だけでなく安全性の面でも整備の一貫性が重要となる。
今回の飯田橋駅周辺エリアでは、千代田区がガイドラインを基に統一したイメージでまちづくりを推進し、一貫性を確保している。とはいえ、再開発エリアは6カ所あり、駅の東側と西側でも用途地域が異なる。このため全体として統一感を創出しながら、一方で、それぞれの地区の特色を打ち出すことも必要になるので調整は簡単ではない。
今回の再開発に関わる主な通りは、複数の再開発エリアを通過し東口と西口をつなぐJR線路沿いの外堀公園通り(区道255線)。整備内容に一貫性を持たせるため、すでに完成した再開発地区の道路イメージを連結させる手法を想定している。
また、各エリアにある比較的幅員の狭い道路に関しては、それぞれの道が持つイメージを表現する手法として植樹などを実施している。今後も、主要道路から裏道まで、歩道状空地の提供を受けるなど歩行空間を充実させながら、一貫性と特色のある道づくりが進みそうだ。
飯田橋駅周辺エリアで再開発に向けて再開発準備組合を設立している地区は、「飯田橋駅中央地区」「飯田橋駅東地区」「富士見二丁目3番街区」の3地区。
「飯田橋3-9周辺地区」は、再開発協議会で今後の計画を具体化していく段階だ。山下設計(中央区)が飯田橋駅東口周辺のまちづくり業務を手掛けており、「飯田橋3-9周辺地区」の再開発検討業務も担当している。
同地区は再開発対象区域の約半分が千代田区有地。清掃事務所の他、飯田橋保育園跡地がある。現在は、エリア内の飯田橋3丁目で下水道幹線(トンネル)工事に向けた発進立坑工事が実施されている。このほか飯田橋駅周辺エリアでは、JR飯田橋駅の安全対策の一環として駅ホームの移設工事が進行中。東京メトロ東西線では、輸送改善事業として現在準備工事に着手しており、今後工事が本格化する予定だ。
再開発と並行する形で、道路はもちろん鉄道や下水道などのインフラも再整備・新設される。千代田区は、より総合的・計画的にまつづくりを進めるため、「飯田橋・富士見地域ガイドライン(案)の充実化」に向け、補足基準の具体化に注力している。17年第1四半期中に、同補足基準の策定を目指す。
すでに再開発を完了している地区は「飯田橋駅西口地区(飯田橋サクラパーク)」「富士見二丁目北部地区(飯田橋プラーノ)」の2地区。完了地区を挟み込むような形で再開発が進む。
(建通新聞東京版2017年3月1日号掲載記事より)
池袋駅周辺の副都心開発から立ち遅れていた南池袋二丁目のまちづくりが、豊島区役所新庁舎の建設をきっかけに動き出した。
この一角を形成する南池袋二丁目C地区は、北側で東京メトロ東池袋駅、南側で都電雑司が谷停留所に隣接し、交通利便性が高い。国が進める都市再生プロジェクトの30番目の対象地域に選ばれ、国際競争力と快適性を兼ね備えたエリアに生まれ変わろうとしている。
同地区を含む池袋駅東口から地下鉄有楽町線・東池袋駅周辺地域は、1937年に市電通り(現グリーン大通り)が池袋東口から護国寺方面に開通するまで、雑木林の中に60カ所もの牧場がある牛乳の生産地だった。
池袋駅周辺では、74年に有楽町線、77年に首都高速5号池袋線が開通し、78年にサンシャイン60が完成した。2015年には豊島区庁舎と高層マンションが一体となった「としまエコミューゼタウン」がオープンし、にぎわいをみせている。
南池袋二丁目C地区の再開発の対象エリアは南池袋2-23、25〜30の面積約1.5f。同地区は04年に街並み再生地区の指定を受け、3区域で個別に事業の検討を進めてきた。それを一体化し、15年10月に南池袋二丁目C地区まちづくり協議会を設立。16年3月に南池袋二丁目C地区市街地再開発準備組合が発足した。
同地区は小規模敷地が多く、築30年以上の老朽化した建物が6割を占める。木造建築が密集している場所があり、土地の低・未利用が目立つ。また、空き家の増加など防災・防犯対策が懸案になっている。さらに地区内の道路は幅員が狭く歩道も未整備で、広場や公園など公共空間の不足も課題だ。
16年3月にまとまった同地区の基本構想案によると、まちづくりの目標として副都心や豊島区庁舎と連携したにぎわいある街並みと、災害に強く安全・安心に住み続けられる価値の高い住環境の実現を掲げている。土地利用方針では、東京メトロ有楽町線・東池袋駅に隣接する同地区北側と、同地区西側に整備中の環状5の1号線沿道エリアをにぎわい・交流ゾーンと位置付け、都市住宅機能とともに商業・業務系機能を導入し、としまエコミューゼタウンと連動した施設機能を配置する。それ以外は住環境ゾーンとして防災性と快適性を追求した都市型居住環境を形成する方針だ。
施設計画は行政協議中で、現在は北棟と南棟の2棟構成を検討している。施設規模として高さ約180b、延べ床面積15万平方b超を見込む。共同住宅(戸数1000戸超)や事務所、店舗(保育施設、介護施設、医療施設などを含む)、駐車場を配置する計画。北棟は有楽町線・東池袋駅との直結を目指して東京メトロと協議している。また、今回の再開発や近隣の開発と併せた副都心線への東池袋新駅の設置も東京メトロと検討している。
南池袋二丁目C地区市街地再開発準備組合は、開発の方向について「豊島区庁舎に隣接する利便性の高い立地特性を生かし、行政機能と連携。地元住民が主体となって、100年後を見据えた、安全・安心でゆとりある住み良い街をつくっていきたい」としている。
同再開発準備組合は、17年度末の都市計画決定、18年度末の再開発組合設立認可、19年度末の権利変換計画認可、20年度の着工を目指す。事業推進パートナーは住友不動産、野村不動産、UR都市機構の3者。事業協力者は清水建設。事業コンサルタントはINA新建築研究所とポリテック・エイディディが担当している。
(建通新聞東京版2017年3月8日号掲載記事より)
鉄パイプで封鎖されたピロティ。ベニヤ板を打ち付けた玄関。投函(とうかん)口をガムテープでふさいだ集合ポスト―。
「虎ノ門・麻布台地区第一種市街地再開発事業」の対象エリア、港区虎ノ門5、麻布台1、六本木3地内の約8.1fは、まさに再開発“夜明け前”の風情だ。1988年にまちづくりの取り組みが始まり、93年に虎ノ門・麻布台地区市街地再開発準備組合が設立された。それから四半世紀が経過した今年1月、東京圏国家戦略特別区域会議(第11回東京都都市再生分科会)で事業概要がようやく明らかになった。地権者数は約120人で、区分所有者を含むと約330人に上る。推進役は森ビル(港区)。地権者でもある。
会議で示された都市計画素案には、スケールの大きい再開発計画が描かれていた。事業エリアを七つの街区に分け、高さ330bの超高層ビルを含む再開発ビルを7棟建設するとともに、道路ネットワークやエネルギーシステムを再構築する。高低差のある地形を生かしながら都市を一新する手法は、六本木ヒルズや虎ノ門ヒルズを開発する“森ビルならでは”だ。
〈外国人も暮らしやすいまちを〉
計画の特徴の一つは、外国人にとっても暮らしやすいまちづくりを目指す点だ。海外に滞在しようとする外国人が第一に考えるのは家族の安全と安心で、医療と教育機関の充実が都市評価のポイントとなる。そこで森ビルは、インターナショナルスクールや多言語対応の医療施設・子育て支援施設を整備し、生活支援・交流施設にも外国人対応スーパーマーケットなどを誘致するとした。短期・中期滞在に適したサービスアパートメントを約160戸整備し、バイリンガルフロントサービスやジム・プールなど多様なニーズに対応する。周辺はもともと外資系企業や大使館が立地する地区。国家戦略特別区域の目標には「国際的ビジネス拠点の形成」が示されている。
〈下水熱利用システムも〉
もう一つの特徴は、自立・分散型エネルギーシステムを構築する点。
現在導入を検討しているのは▽中圧ガスによるコージェネレーションシステム▽ガス・オイルによるデュアルフューエル型非常用発電機▽下水熱利用システム―などのエネルギーシステム。災害が発生し商用電力が停止しても、通常と同等のエネルギーを確保する。事業継続計画(BCP)と生活継続計画(LCP)への対応に加え、近隣公共施設への電力供給も検討するという。
設備面ではこのほか、住宅の雑排水を回収・処理してA街区の便所洗浄水を100%賄うシステムを取り入れる。環境負荷を低減し、CASBEE目標をランクA〜Sとした。
〈東西南北、道路網を拡充〉
大規模な土地利用転換の機に道路ネットワークも強化する。計画はこうだ。
地区幹線道路1号を築造し、外堀通り〜外苑東通りを南北に結ぶ▽地区幹線道路2号で桜田通り〜放射1号を東西に結ぶ▽区道406号線は幅員4bを7bに拡幅▽地下に地下鉄神谷町駅〜六本木一丁目駅をつなぐ東西歩行者通路を築造▽神谷町駅側に約1000平方bの地下鉄連絡広場を建設▽エリア西側の行合坂は約5bの高低差をかさ上げし、広い歩道に変える―。
東西南北の道路ネットワークを拡充することで、まちはより便利で安全になる。
*
計画の詳細や総事業費は明らかになっていないが、スケジュール案では2018年度に工事に着手し、22年度の完成を目指すとしている。まちづくりの準備が急ピッチで進む。
(建通新聞東京版2017年3月15日号掲載記事より)
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