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祝・横浜市公共建築100周年<1月号>

横浜ファンを拡大せよ−。

Congratulations on the 100th anniversary of Yokohama City Public building division.
Please enjoy more information for Yokohama lovers.
 
今から100年前、1922年4月1日。横浜市の行政組織に建築営繕事務を行う「建築課」が誕生した。以来、市民が利用する文化施設やコミュニティー施設、社会福祉施設、514の学校、109の市営住宅、病院、庁舎、焼却工場などを整備し、現在は約2600施設を保有するに至る。
建通新聞では2022年5月から23年3月まで、月替わりの連載で横浜市の公共建築の歴史を振り返るとともに、建設や維持保全に携わる技術者を紹介する。
そこにあって当たり前の公共建築とは。
技術者から見た推し≠フ建物は。
あまり表には出てこない、公共建築に携わる人の思いとは―。
(2023年1月1日更新)
 
As many as one hundred years have passed since the public building division was established in Yokohama City Government on April 1, 1922.
About 2600 buildings have been constructed, such as city halls, community centers, social welfare facilities, 514 schools, 109 public housing, hospitals, incineration plants, and that made our lives so convenient, comfortable and smooth.
Now, let's focus on those involved in technology, who made the buildings and have been taking care of them ever since, and think over the meaning of public buildings.
(As of January 1, 2023)
 
 

1・横浜市公共建築の紹介 This is The Public Building

◆横浜スタジアム YOKOHAMA STADIUM

 
横浜スタジアム
横浜スタジアム(写真提供・渇。浜スタジアム)
 
 
日本で一番鉄道駅に近い多目的スタジアムとして1978年に完成した横浜スタジアム、通称・ハマスタ。プロ野球チーム横浜DeNAベイスターズの本拠地であり、アマチュア利用を前提とした横浜市民球場でもある。
建設に当たっては可動式のピッチャーズマウンドや人工芝、レール上を移動するスタンド席を採用。その後の改修でもいち早くLED照明塔を導入するなど、常に日本初≠フ進化を続ける横浜スタジアムは、進取の気性に富んだ『はまっ子』の象徴だ。
渇。浜スタジアムでファシリティー部を統括する重田克巳取締役にスタジアムを紹介してもらった。
 
Yokohama Stadium, also known as Hamasuta, was completed in 1978 as a multipurpose stadium located closest to a railroad station in Japan. It is home to the Yokohama DeNA BayStars professional baseball team, and is also the Yokohama Municipal Baseball Stadium for amateur use.
The stadium is a symbol of the enterprising spirit of "Hamakko." In the construction of the stadium, a movable pitcher's mound, artificial turf, and seats in the stands that move on rails were adopted, and in subsequent renovations, "Japan's firsts" such as LED lighting towers have always been incorporated to continue the evolution of the stadium.
Katsumi Shigeta, director of the Facilities Department at Yokohama Stadium Corporation, gave us an introduction to the stadium.

 

―ハマスタの歴史を教えてください。

「当球場の立つ横浜公園は、開港以来さまざまな歴史が記録されています。1896年に日本初の国際野球、1899年にはこれも日本初の国際対抗ラグビーの開催、1934年には野球の神様ベーブ・ルースやルー・ゲーリックらが率いる全米大リーグオールスターが来日、また当時は2600人収容(改修前は3400人)の野外音楽堂もあり、プロのコンサートも度々行われました」
「このような経歴を持った土地に1978年、横浜スタジアムは誕生しました。当球場は、今では多くのスタジアムで当たり前になりましたが、過去の多様な利用も踏襲し、野球だけでなく、アメリカンフットボールその他のスポーツ、音楽イベントなどさまざまな興行に利用できるよう、観覧席やピッチャーマウンドなどの装置が可動式で作られ、多目的球場と呼ばれ利用されています」
 
 
アメフト、サッカー、コンサートにも
 
「これまで野球以外のイベントでは、アメリカンフットボールやJリーグプレシーズンマッチ、オージーボウル(オーストラリアンフットボール)が行われ、これに加えマイケル・ジャクソンやボン・ジョヴィ、マドンナら大物外国人アーティストや、国内では2022年に34回目の公演となったTUBE、サザンオールスターズ、矢沢永吉などBIGスターのコンサートも多く開催されました。2021年夏には東京オリンピックの野球・ソフトボールの会場として日本チームの金メダルの獲得を見届けました」

 

―2017〜20年には、ウィング席6000席の増築やバリアフリー改修工事を実施し、収容人数を2万9000人から3万5000人に拡大しました。プロ野球の試合開催日の間を縫っての工事でした。

「野球観戦の来場者の動線を確保できるよう、試合開催のたびに工事の仮囲いを移設し、施工範囲を上げ下げする居ながら施工≠ナ実施してもらいました。試合が終わるとお客さまは一斉に退場します。その動線をしっかりつくり、3年間、事故の発生を予防しました。施工を担当した清水建設JVにはかなりの無理を聞いてもらいました。それがなければプロ野球の興行はできませんでした」
「2019年2月に工事が無事竣工し、新たなスポットも生まれました。高さ規制31bギリギリで建てられた増設スタンドからは、特に真夏の開催時は美しい夕焼けを拝めることも多く、ナイター時は港町ヨコハマの夜景も一望でき、来場者には大変好評です」

 

―野球ファン以外の方が訪れた場合は。

「野球観戦目的ではなく、実際に球場を利用いただくことも楽しみ方の一つかと思います。プロ野球ナイター日の早朝は、グラウンドをキャッチボール広場として開放しています。もちろん無料です。また、市民利用でグラウンドを2時間単位でご利用いただくこともできます」
「次にプロ野球観戦でご来場いただく際は、試合はもちろん、途中途中で観客が楽しめるようなイベントを多く実施しています。試合のイニング間に来場者がグラウンドに登場し、上手にボールを投げる・キャッチすることができたらドリンクサイズUPの企画や、来場者をランダムにカラービジョンに映して写真をプレゼントしたりします。マスコットやオフィシャルダンスチーム『diana(ディアーナ)』のパフォーマンス、試合が盛り上がっている終盤にはLED照明と演出照明を駆使した演出は大変きれいです。ホームラン・勝利時には打ち上げ花火など、盛りだくさんです」
「日によっては、場外である公園内に特設ステージを設置しdianaのダンスパフォーマンスショーやOB選手のトークショーを無料で観ることができます。是非ご利用ください」
 
12月3〜11日にグラウンドを開放したイベント BALLPARK FANTASIA(ボールパークファンタジア)を開催
12月3〜11日にグラウンドを開放したイベント
BALLPARK FANTASIA(ボールパークファンタジア)を開催
 
 

―横浜市庁舎が移転した後の関内・関外まちづくりでは、ハマスタを中心に、スポーツの参加や観戦を目的としたスポーツツーリズムによるまちの活性化が期待されます。

「プロ野球があるまち・横浜に集まった人たちが『野球をきっかけにコミュニケーションを育むような、地域のランドマークになりたい』というのがコンセプトです。野球を通じて家族や友人、同僚などさまざまな人が出会い、多様なコミュニティーを形成するための場所としての役割を、球団・球場が担えるように、来シーズン以降も多様なイベントや企画に取り組んでいきたいと考えています」
「さらにDeNAグループとして近年では『コミュニティボールパーク』化構想の対象をまちレベルに発展させた『横浜スポーツタウン構想』を掲げ、スポーツを核としたまちづくり事業にも進出。官民が連携してまちににぎわいをつくることを目指し、横浜市とも包括連携協定『I☆(LOVE)YOKOHAMA協定』を締結しさまざまな協働を推進しています」
 
重田克巳氏
重田克巳氏(しげた・かつみ) 1983年渇。浜スタジアム入社。取締役ファシリティー担当
【照明塔はYOKOHAMAのYの字をかたどったデザインらしい。他にもYの字がないか、球場内を探してみよう】
 
横浜スタジアム(横浜市中区横浜公園)
<新築>
▽規模 鉄骨鉄筋コンクリート・鉄筋コンクリート造、スタンドの高さ24b、延べ床面積1万9217b 収容人数約2万9000人
▽設計・監理 創和設計(現・創和三幸設計)、協力・鎌田建築研究所
▽施工 横浜スタジアム建設工事共同企業体(清水建設、大林組、奥村組、鹿島、熊谷組、西武建設、大成建設、竹中工務店、戸田建設、フジタ工業、前田建設工業)
▽鉄骨加工 日本鋼管、駒井鉄工所、川岸工業、東亜鉄工建設(照明塔)、三菱重工業(移動スタンド)
▽工期 1977年4月〜78年3月
<増築・改築>
▽規模 増築部分延べ1万2000b 収容人数約3万5000人
▽設計 清水建設
▽施工 清水・馬淵・大洋共同企業体
▽CMr 山下PMC
▽工期 2017年11月〜20年2月
▽URL yokohama-stadium.co.jp
 
 

2-1・公共建築に携わる職員の紹介 Technology persons of Yokohama city

◆公益財団法人 横浜市建築保全公社
Yokohama City Building Maintenance Public Corporation

公共建築物の適正な維持・保全業務を行い、施設の安全性や利便性を高めて、市民福祉の増進に寄与しています。
また、これまで公社が長年培ってきた修繕技術に加え、安全管理や工事の品質向上などに関する調査研究を行い、研究結果を今後の工事に生かしながら、市民や施工者を対象とした研修などを通じて普及啓発活動を行い、公益法人として広く社会に還元しています。
 
【保全調査課】
横浜市の公共建築物の法定点検業務、劣化調査業務を担い、施設の安全利用はもとより、状態監視保全による建物の長寿命化につなげています。
【設備課電気係】
設備課電気係は、横浜市が所有する約2600施設の電気分野の修繕事業を担当しています。横浜市より、学校や市民利用施設など、さまざまな改修依頼を受け設計と工事の監理業務を行っています。
 
横浜市建築保全公社 保全調査課、設備課電気係
横浜市建築保全公社 保全調査課、設備課電気係
 
(氏名 Name 推し≠フ公共建築またはひとこと My favourite Public building or message for you)
 
長田良彦(ながた・よしひこ) 開港記念会館。12条点検で出会い、こんなに身近にこんなにノスタルジックな建物があることに感嘆し建物の隅から隅までを知りたくなり、点検、劣化調査を進んで担当しました。点検者特権の高塔に上がった時の優越感。
 
高木義浩(たかぎ・よしひろ) ポートサイド地下駐車場。12条点検で昨年調査を実施しました。横浜駅の東側にあるこの駐車場は埋め立て地にあり、建物のほぼ98%が地面の下で、まるでアリの巣の様です。地下車室では、コンクリートひび割れによる漏水対策に苦慮しております。
 
郡司朗(ぐんじ・あきら) 横浜中央図書館。前川國男建築設計事務所の設計でハニカム状のグリットで構成された建物で中に居ると方向感覚がおかしくなります。当時(28年前)は最新式の外壁外断熱オープンジョイント石張り乾式工法で施工されています。現在外壁調査中。
 
加賀谷栄(かがや・さかえ) 横浜マリンタワー。子どもの頃、近所だったのでよく遊びに来ました。当時、地上から展望台まで外階段を上り記念品をもらった記憶があります。先日、12条点検で外階段を使い展望台から地上まで下りたら、足が震えていて年月を感じました。
 
齋藤清司(さいとう・せいじ) 新市庁舎。数々の省エネ技術が採用された新市庁舎は大変興味深いです。工事中の見学会に3回ほど参加させていただきました。
 
後閑照明(ごかん・てるあき) 山下公園(駐車場)。昔、父と山下公園に来た際に車を止めた施設です。現在、防火設備の点検で立ち寄りますが、1階の防火シャッターがとても大きく横幅が約14bもあります。市民の安全を守り、火災の延焼を防ぐ重要なシャッターです。
 
真部隆(まなべ・たかし) 金沢高等学校。入社後、初めて改修工事として携わった施設(学校)です。半世紀程前に建てられた校舎も一部残っており、当時何度も現場を確認させていただきました。母校ではありませんが、どこか懐かしさの残るすてきな校舎です。
 
松田拓也(まつだ・たくや) 中央卸売市場本場。横浜市の食文化を支える重要な施設であり、関連棟の食堂では市場の新鮮な食材を使った料理などが提供されています。夜間もフル稼働している施設であるため、改修工事の際は綿密な計画が必要となります。
 
中澤康雄(なかざわ・やすお) 横浜赤レンガ倉庫。横浜港のシンボルとして築100年を超える倉庫、夜になるとライトアップされて建物全体が暖色系の優しい光で浮かび上がり幻想的な風景が見れて印象的です。
 
新井宏蔵(あらい・こうぞう) 横浜市開港記念会館。10年近く前に講習会で初めて横浜に来た時に開かれた会場がここでした。西洋と大正を感じる映画の舞台の様な雰囲気に圧倒された事を今でも覚えています。休憩時間に館内を見学して写真を撮ったことが良い思い出です。
 
森木祥悟(もりき・しょうご) 横浜赤レンガ倉庫。約20年前、横浜で最初に見た公共建築が赤レンガ倉庫でした。今も変わらず、圧倒的な存在感を放ち続けています。西洋建築ならではのフォルム、黒い瓦屋根と赤いれんがの美しいコントラストは、何度見ても飽きません。
 
清水和晃(しみず・かずあき) 山手111番館。スペインの街を思わせる洋館でローズガーデンとの調和がよく2階から見る横浜港の夜景は最高です。西洋館特有の天井が無く配線工事の苦労や当時の製品の入手や代替え品の選定が困難でだったことを思い出します。
 
中川良(なかがわ・りょう) 旧野毛山配水池。日本初の近代水道用施設として1930年に建てられたものです。東小学校の地下にレンガ造りのバルブ部屋が埋められており、閉じると大岡川沿いにある日ノ出湧水が止まったとのこと!配水池につながっているようです。
 
森本哲(もりもと・さとる) 中央卸売市場本場。工事担当者として30件以上担当し青果部の照明や直流電源の更新など自身で設計を行い、また受電設備、エレベーター改修、弱電設備など水産物部、青果部の重要な設備に携わり、苦労もあったが思い入れのある施設です。
 
出原誠(いではら・まこと) パシフィコ横浜。実際に現場施工に携わって受電日前日に高圧ケーブルの耐圧試験を行った際ケーブルがパンクし、再度ケーブル布設を徹夜作業で再施工しました。海側の先端に女神像があり写真を撮った記憶が残っています。
 
酒匂健太郎(さこう・けんたろう) 八聖殿郷土資料館。1933(昭和8)年、熊本県出身で逓信・内務大臣を歴任した安達謙蔵が精神修養の施設として建立。公共建築と呼べるかわかりませんが、三層楼八角形の建物も八聖人の像にも心にしみるものがありお気に入りです。
 
清田茂治(きよた・しげはる) べーリック・ホール。設計から関わり、文化財の修復の勉強をさせていただきました。工事では、昭和初期の職人技が各所に残っていて、現代の職人さんも、現場でふいごで火をおこし金物部材を手造りし昔の職人さんに負けていませんでした。
 
 

2-2・公共建築に携わる民間技術者の紹介 Technology persons

◆創和三幸設計(横浜市中区)
取締役副社長、建築設計部門部門長 櫻田修三(さくらだ・しゅうぞう)

Shuzo Sakurada
Sowasankosekkei co.jp
 
櫻田修三副社長、 「日本の鋼構造」、 横浜公園と横浜スタジアム配置図
(上から)椛n和三幸設計の櫻田修三副社長、
社団法人鋼材倶楽部(現・一般社団法人日本鉄鋼連盟)1979年5月発行「日本の鋼構造」、
横浜公園と横浜スタジアム配置図
 
 
市民が多目的に利用できる球場を
 
当社のオフィスからは横浜スタジアムが良く見えます。いつ見ても、いいな、きれいだな、と思っています。
横浜スタジアムの前身は平和球場といいました。ベーブ・ルースらがプレーした由緒ある球場です。老朽化し建替えたいという市民の要望があり、飛鳥田市長(当時)が建て替えを決めました。民間の出資で設立した渇。浜スタジアムが事業主体となり、完成後に横浜市に寄贈するというスキームでした。
設計のスタートは47年前。私が27歳の時、10人ほどのプロジェクトチームで取り掛かりました。オーダーは『市民が多目的に利用できる球場』です。野球のオフシーズンにはアメリカンフットボールやサッカーなどの競技にも利用できるよう、円形球場をつくることになりました。グラウンドにある座席の下にはレールが敷いてあります。サッカーの時は、その座席を移動してグラウンドを四角く使うのです。ピッチャーマウンドは人工地盤を上下してフラットにもなります。

 

構造計算を考え続ける
 
円形球場は横から見るとすり鉢状の、お猪口(ちょこ)型の建物です。これは、横浜公園の中に建設するため公園面積を広く取る必要があり、建物の接地面積を小さくするための工夫です。結果として建物の外周面は斜めに立っていることになります。また、円を一つの構造体にすると、コンクリートの収縮などによりひび割れが発生する恐れがあります。そこで、SRC造の躯体を分割しましたが、分割するとお猪口の形ですから外に倒れやすくなるために、鉄骨は一体化しています。
また、斜めの角度の計算が難関でした。フレームは48本で、場所ごとに倒れ方と角度を少しずつずらして構築します。数学的にどうやって角度を求めたらいいのか、その法則を見つるために議論を重ねました。コンピューターを導入する前のこと、計算は手計算の時代です。設計期間は1年足らず。メンバー全員で考え続けました。平均年齢が25〜26歳でしたから体力もあり、頑張りが効きました。夜も遅くなると、石塚設計室長の奥様から夜食の差し入れをいただいたりしました。
最終的にモジュールにたどり着いてからは嬉々として図面に取り組みました。一つの目標に向かうので自然とみんなの息が合い、気持ちがまとまり、役割を分担して作業を進めました。楽しかったですね。

 

建設当初の理念がさらに生きて来る
 
いま、球場はコミュニティーボールパーク化構想に基づいて進化を続けています。旧市庁舎の跡地が開発されたら、新しい建物と球場がデッキで接続される計画です。野球ファン以外も足を運ぶ施設になれば、『市民が多目的に利用できる球場』という建設当初の理念がさらに生きて来るように思います。
私も野球が好きです。2年前に孫が『横浜DeNAベイスターズジュニア』に選ばれて、横浜スタジアムでプレーするのを見た時は、ちょっと感動しました。
 
 

◆清水建設 SHIMIZU CORPORATION

工事長 中村竜平(なかむら・りゅうへい)

Ryuhei Nakamura
湘南工場 開発棟 新築工事現場代理人
2007年度入社

 

工事長 三澤裕樹(みさわ・ゆうき)

Yuuki Misawa
横浜支店建築部プロジェクト推進グループ
2006年度入社

 

渇。浜スタジアムは、2017〜20年にスタジアムの増築改修工事を行った。施設の老朽化に加え、横浜DeNAベイスターズ戦のチケットが手に入りにくい状況を改善するための対応で、ライト側とレフト側スタンドをそれぞれ増設するなどして観覧席約2万9000席を3万5000席に増席。個室観覧席棟を設け、外周には回遊デッキも新設した。工事はプロ野球興行が行われる中、観客3万人の居ながら施工=B設計・施工を担当した清水建設の、中村竜平工事長と三澤裕樹工事長とに話を聞いた。(敬称略)
 
(写真上から)中村竜平氏(左)と三澤裕樹氏
施工手順@オフシーズン2017年11月〜2018年3月
Aオンシーズン2018年4月〜2018年10月
Bオフシーズン2018年11月〜2019年3月
Cオンシーズン2019年4月〜2019年10月、プロ野球開催時の動線確保状況
 
 
中村 今までに経験した中で一番工程の厳しい現場でした。
施工計画の策定では、オフシーズンとオンシーズンに分けたステップ図を作成し、17年11月からのオフシーズンにライトウイングと個室棟の基礎工事に着手しました。18年4月のオンシーズンから18年11月のオフシーズンで仕上げ、19年3月のオープン戦で仮使用を始めました。19年の収益に少しでもつなげるための提案です。
レフトスタンドは18年オフシーズンに基礎工事を開始し、19年4月からのオンシーズンに回遊デッキと共に仕上げ、20年2月に完成させました。
ベイスターズがクライマックスシリーズに進出する場合と日本シリーズに進出する場合など、三つの工程表を作成して取り組みました。

 

―観客数3万人の居ながら施工≠ナす。

中村 約80日の興行期間中は工事エリアを来場者に開放し、試合のない日に作業を進める、その繰り返しでした。足元を養生するゴムマットの厚みの選定やフェンスのユニット化、防護構台の設置などで工夫し、転換による時間やコストの低減を行いつつ、綿密な工程計画で開放エリアを確保し、全興行の安全な開催を実現しました。
地中障害やイベントの増加により工程が逼迫しましたが、プロ野球開催期間に先行して施工できるよう、既存記者席改造やドリームゲート部分の解体の先行などを提案しました。運営側と協議して実現していくことで、仮使用を含む開業日程を厳守しました。
 
三澤 工事によって興行に影響を与えることは絶対にあってはならないという思いで進めました。デーゲームの日は10時まで、ナイター開催の日でも午前中しか工事はできません。鉄骨建方を日中に行い、段床PCを夜間に取り付けるなどして、作業時間を確保しました。施主の横浜スタジアム様より頂いた、「万が一何かあって興行に影響を与えた場合、「数多くある試合のうちの一試合に影響があった」のではなく、「その時来たお客さまにとっては一生に一回の日だったかもしれない」という意識で作業するように」という言葉が印象に残っています。

 

―工事の特徴は。

中村 ライトウイングは既存屋内練習場をまたぐため、大スパンを可能とする鉄骨(メガトラス)を採用しました。工事ヤードや既存建物の構造による制約があり、地組やベントの設置ができない施工条件であったため、施工解析やファブでの実証実験により、鉄骨の組立手順・精度の問題を検討し、制約を克服しました。
 
三澤 個室観覧席は、既存のバックスタンドに建屋が跳ねだしてくるオーバーハングの形状で、シーズンが終了するまで本格的に工事を進めることはできませんでした。一発勝負で盛り替えを行い、道路規制解除の時間ギリギリに無事に完了した時は、非常に安堵しました。
シーズンが終了してから全ての工事を行っていては工程がさらに厳しくなりますので、シーズン中にできる限りの鉄骨を納めるなどの工夫をしました。昼に記者席の屋根を部分的に解体し、その日のうちに防水施工し、夜、ナイター中継に使ってもらう。工事は2週間ほどかけて少しずつ進めたので、記者の人たちは工事が行われていることに気付かなかったようですが、「試合中に漏水したら」という不安で非常に緊張したのを覚えています。
また位置的にバックスタンド側の既設の使用中のスコアボードに干渉していたので、スコアボードを移設しなければなりませんでした。翌日もプロ野球の開催があるという状況で、深夜、道路にクレーンを止めて移設を行うという失敗が許されない作業でした。
記者室屋根の解体は足場のない状態でスタートしました。30bの高さです。安全設備を完全に備えているとはいえ、緊張感を持っての作業となりました。

 

―横浜スタジアム増築改修工事は、2020年、優れた改修を実施した建築物を表彰するBELCA賞を受賞しました。

中村 建設工事は、出来上がった時の達成感がなによりです。スタジアムに観客が入り、一般の人が入って来る。一人一人がすごいなと思ってもらえる建物の建設に携わることができるのは、技術者の誇りです。むずかしい仕事だからこそ達成感があり、やりがいがあります。この達成感を味わうためにやっているところがあるかもしれません。
仕事の責任が増し、プレッシャーが増え、つらいことの方が多くなりましたが、出来上がった時の達成感は、1年目も今も変わりません。
 
 

3・歴代建築局公共建築部長ご挨拶 Successive General Managers of Public building division Yokohama City

歴代公共建築部長
歴代建築部長
 
(@ 入庁年次 Since A現在の所属 B"推し"の公共建築 My favourite Public buildings、ひとこと message for you)
 
小松ア隆(こまつざき・たかし)@1976年4月入庁、2003年度建築局建築部長、04年度都市計画局都市計画部長〜基地担当理事、07年度環境創造局長、09年度都市経営局長、09〜12年度横浜市副市長、12年度横浜市住宅供給公社理事長・横浜市建築助成公社理事長(兼務)、13年度横浜高速鉄道社長A樺|中工務店横浜支店調査役B旧横浜市庁舎。開港百周年記念事業として1959年竣工、名匠村野藤吾設計。横浜の戦後復興を長く支え、東北大震災の直前に免震工事完了、新市庁舎建設に伴いレガシーホテルとして保存活用されるなど、歴史を背負いながら新たな街づくりの象徴として輝き続けます。
 

ご挨拶

私自身は、横浜の都市計画・都市づくりに携わりたくて入庁しましたが、最初の配属先は希望とは違う清掃工場建設現場でした。工事監理知識ゼロの新人でしたが、2年間の常駐監理で先輩諸氏に鍛えられ、大いに自信がつきました。結果として役所の配剤に感謝しています。公共建築の将来を担う若手職員に適切な経験を積ませたいと切に願います。
 
 
大槻哲夫(おおつき・てつお)@1972年4月入庁、2000〜01年度建築局建築部長、02〜03年度横浜市建築保全公社理事長AなしBわが母校の、間門小学校。私が通っていたころは、グラウンドの前が海だった。体操や理科の時間は潮が引いているとよく海へ行った。担任の先生が海なし県≠フ出身で海が珍しいらしく、われわれ生徒も、授業というより楽しく一緒に遊んでいた。当時の校舎は古い鉄筋コンクリート造でやや勾配のきついスロープがあった。建築局に異動して知ったのは、この校舎は関東大震災後に、震災復興小学校のひとつとして昭和4年に完成した建物であった。その校舎も50年を経て建替えられ現在に至っている。横浜市の小学校では一番広い敷地面積を生かし、低層で伸び伸びとした学校計画である。間門小学校は地域の活動拠点となっており、今も時々訪れている。
 

ご挨拶

建築保全公社の仕事に2年間携わり、保全の大切さを痛感した。保全の仕事は、単なる改修に留まらず、機能改善、用途変更など多岐に渡っている。特に、空調衛生設備や電気設備の技術革新はすさまじく、保全に占める設備比率はますます増加している。保全業務は老朽化に比例して増えるし、新築よりも条件が厳しく計画も難しい。地味で目立たない仕事であるが心して臨んで頂きたい!
 
 
小島賢治(こじま・けんじ)@1963年4月横浜市入庁、93〜97年度緑政局担当部長、98〜99年度建築局建築部長、2000〜03年度横浜市住宅供給公社常務理事AなしB入庁時以来建築局で多くの公共建築と他局の大規模建築の建設に携わってきた。旭区庁舎、中央卸売市場南部市場建設、本場市場整備(水産棟・管理棟)事業は1981年5月〜87年6月に整備室長として6年担当した。
1988年5月〜92年5月、横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)へ出向。建設課長、次長として会議センター、ホテル棟、展示ホールの3施設について実施設計、工事発注、工事に携わる。会議センター、ホテル棟の工期短縮を図るため躯体と内装工事を分離し躯体工事を先行発注し1988年12月に建設工事着手。翌3月、横浜博覧会(YES'89)が開催され、工事敷地が縮小することになり施工法の見直しにより隣接の海からの工事となりコンクリート工事はすべて海から行う。施工者、設計事務所、発注者の調整が毎日続いた。1989年10月展示ホールの工事着工。1991年7月会議センター、ホテル棟、7月には展示ホールが竣工した。工事に従事した方々の安堵の表情は今も忘れない。特にホテル建築は初めての経験で、ホテル運営(ヨコハマ グランド インターコンチネンタルホテル)の担当者とテナント工事の調整に多くの時間をかけた。帆≠デザインしたホテルのインテリアの内装が終わりその完成が楽しみであった。
ホテル1階入口を入ると吹き抜けの天井の高い空間が広がり中央には二つの2階への階段があり、階段の上り始めにブロンズ像が設置され銘板には、みちびき≠ニ2枚の「このブロンズ像、ヨコハマの飛翔、パシフィコ横浜の航海≠フ平穏、ひいては、世界の平和を願いホテル棟頂部に高さ4bの彫刻<寄贈・横浜銀行、彫刻制作 吉野 毅>を設置したものの原型です」と説明されている。この原型女神像は当初会議センターの1階ロビーに設置されたが、2010年の会議センターリニューアル時にホテルの現在地に設置された。
ホテル棟の白の外壁がほぼ終わり、1990年11月9日の午後にホテル棟最頂部(高さ140b)の工事中のクレーンで、高さ4メートル・重さ1.3トンのブロンズ女神像がつり上げられ設置された。パシフィコ横浜が1991年10月に営業を開始して以来、女神像は夜間ライトアップされ、夜の横浜港を見守っている。私はパシフィコ横浜を訪れる時は、必ずホテル1階の穏やかな表情の女神像を見てから階段を上り2階のマリンブルーで海を眺めながら当時を思い耽ることにしている。
パシフィコ横浜の4年間を終え、1992年6月〜98年4月、緑政局横浜総合運動公園整備室次長・担当部長として横浜国際総合競技場(日産スタジアム)の建設を担当。新横浜の小机・鳥山地区の約70fの広大なエリアに建設省(当時)が鶴見川の治水対策として多目的遊水地の事業を進め、共同事業として横浜市はコンベンション都市を目指し、スポーツを通じて世界の人々と連携を深めるため、総合運動公園を整備。その中心的役割を担うための施設として7万人を収容する国際総合競技場を建設する。就任当時、事業の基本構想から基本設計の段階に入り、実施設計では「観戦しやすい」「プレーしやすい」「報道しやすい」「運営しやすい」を設計のコンセプトに施設や設備面でさまざまな工夫をした。
また、遊水地内にあるため競技場全体が人工地盤よるピロティ(高床式)となっている。建物構造はプレキャスト・プレストレス・コンクリート造7階建に決定し、巨大建築物を6分割にして発注し工期の設定を図る。2002年W杯サッカー決勝会場にも対応できるよう施設設計基準の調整が続いた。1994年1月、競技場建設に着手。工事期間3年10カ月を経て1997年10月に完成した。
工事施工について鶴見川の遊水地に建設するという条件の中で最高の技術を駆使しながら安全確実に工事を遂行された。工事施工者、設計監理者、市関係者の喜びと安堵の表情は、今も鮮明に蘇る。
 
 
↓バックナンバーはこちら↓
12月号 横浜国際総合競技場(日産スタジアム)、横浜市建築局公共建築部電気設備課、竹中工務店柴田恭幸氏、渡辺組渡邉一郎氏、横浜市元建築局長木下眞男氏・元公共建築部長水上秀己氏・元公共建築部長天野敏光氏
 
11月号 横浜アリーナ、横浜市建築保全公社企画調整課・営繕二課、竹中工務店稲垣秀人氏、横浜市元建築局長立花誠氏・相原正昭氏・地曵良夫氏
 
10月号 横浜能楽堂と横浜美術館、丹下都市建築設計丹下憲孝氏、横浜市建築局公共建築部学校整備課、魚津社寺工務店魚津忠弘氏、横浜市建築設計協同組合(YSK)、横浜市元公共建築部長花井透氏・恵美須望氏・秋山雅英氏
 
9月号 横浜マリンタワー、横浜市建築局公共建築部施設整備課、日建設計小野潤一郎氏・日建設計コンストラクション・マネジメント古川伸也氏、渡辺組篠田隆信氏、横浜市元建築局長鈴木伸哉氏
 
8月号 パシフィコ横浜と横浜港大さん橋国際客船ターミナル、日建設計亀井忠夫氏、横浜市建築保全公社営繕第一課・総務課、竹中工務店笠井香澄氏・石原次男氏、清水建設大橋成基氏・林亨多氏・吉田健一氏、横浜市元建築局長坂和伸賢氏
 
7月号 横浜市開港記念会館と赤レンガ倉庫、横浜市建築局公共建築部保全推進課、金子設計金子修司氏・稲毛恒男氏・竹島比佐子氏、竹中工務店中嶋徹氏、横浜市元建築局長黒田浩氏
 
6月号 横浜市新市庁舎、横浜市建築局営繕企画課、竹中工務店橋健人氏、竹中・西松建設共同企業体竹中工務店清水亨氏・西松建設武政邦彦氏、横浜市前建築局長鈴木和宏氏
 
5月号 横浜市庁舎の変遷、横浜市建築局「未来プロジェクトチーム」、横浜市建築局長鵜澤聡明氏
 
 
 

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    働き方改革、デジタル化、カーボンニュートラル…。Catch-upでは建設産業を取り巻く話題、最新の法改正などの動向をタイムリーに紹介しています。

  • 連載「脱炭素のホンネ」

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    改正建築物省エネ法の成立は、建築分野の脱炭素化に向けた大きな一歩となった。新築建物については種類を問わず、省エネルギー基準への適合が義務化されることとなった。だが、ある“難題”がまだ立ちはだかっている。

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    インフラメンテナンス 次の10年
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