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「一人前に10年かかる」は本当か

「一人前には10年・・・」は本当か

蟹澤宏剛芝浦工業大学教授講演より(4)


 


月刊建設データ2011年11月号掲載

 



改めるべき「一人前には10年かかる」

ここからは、皆さんに一番関係があることです。

「一人前になるには10年かかる」ということを改めなければいけないという話です。まず、なぜそれができないかというこを僕なりに考えたことをお話ししたい。もし違っているようでしたら、ぜひ教えていただきたい。

人材育成の問題で大きいのは、お金が掛かるということ。それから建設業場合は、逃げられるということ。そして世の中からなかなか評価されないということ−−大きくはこの三つです。

建設業の技能は悲しいかな、例えば大工であればどこの会社に行っても大工ができる。とびならどこの会社に行ってとびができる。



自動車産業だと、日産の人はトヨタに行っても通用しない。やり方が違うからです。しかも日産で技能が上がれば、待遇が上がるという仕組みがあるから、なかなか逃げない。

建設業の場合はJVを組んだときに、「お前の給料は幾らだ」「これこれだ」「こちらの方が高いからうちへ来いよ」とやられてしまう。最初に申し上げたように、訓練校を作ったところがみんなつぶれてしまったというのは、それと同じことが原因なんです。

保険をかけたりしていると、見た目の給料が下がってしまうのです。それで、みんな引き抜かれてしまう。これが「逃げられる」ということです。

なのに人材育成にはお金が掛かる。専門工事業の訓練校は、運営費とかいろいろなものを入れて、1人育てるのにだいたい年間300万円くらい掛かる。有名ハウスメーカーが訓練校を持って、自社の関連会社の大工を育てているのですが、そこは年間500万円以上掛けている。そういう問題があるから、建設業はほとんど教育をしていない。

世の中からなかなか評価されないということでは、施主教育というものを考えなくてはならない。目利きがいて、いい職人に造ってもらいたいという旦那がいて、建築が成り立つということがあるのですが、今では、お客さんの方が「安けりゃ安い方がいいよ」と言う。分譲住宅でも集合住宅でも変わらないとか。

僕は社会人講座をやっていて、お歳を召した人であっても、マンションで長年暮らした人に本物の無垢の木がいいということを教えるのが、いかに難しいかということが分かりました。東京暮らしの60歳、70歳の人は本物の木を見たことがない。だから、本物の木は違うということが分からない。実物を持ってきて見せても分からない。「無垢の木を辞書で調べたけれど、そんな木はない」と言う。後で事務局に「あの講座の先生は何を言っているのか分からない」と文句を言われたりしました。

施主教育というのは時間がかかることです。よく言われるように、小学校からちゃんと教えなくてはならないと思います。

人材育成にお金が掛かるというのは、製造業の企業であれば、経費を製品価格に乗せられますし、将来への投資として考えればできるのですけれど、建設業のように刹那的に入札でたたき合っていたらその余裕がない。

「逃げられる」という問題に関しては、建設業の場合はどこに行っても通用してしまうので問題が出てくる。施主が評価してくれないから賃金も下がる。だから逃げられるという問題もある。こうした大きな問題があるということは、みなさんも感じていただけることだと思います。

職人以外では、設計者は割と雇用されています。職業特質的な要素があるため、簡単には逃げない。

職人はほとんど雇用されていませんし、完全にオープンな技能です。年功的な賃金要素はないので簡単に逃げてしまう。監督もかなり流動化していますけれど、職人に比べると逃げない。職人を育てるという問題がいかに大きいかということが、こうして考えてみても分かるのではないでしょうか。

では、日本の徒弟ということなんですが、逆説的に言うとよくできているなと思います。それはなぜかというと、逃げられる、金が掛かる、評価さないという問題をうまくカバーするのがうまく構築されていたというように思うからです。

例えば、お金が掛かるという問題に関しては、徒弟の場合には生産性が上がらなくても、家事やいろいろなことをやって長い間いますから、その中で相殺できる。お礼奉公というのは、プラマイゼロのところを、「1年ぐらいプラスにしてくれよ」というものです。途中で逃げられたら持ち出しになるのは確実ですから、どうやって逃げられないようにするかというと、一番は教えないことです。教えなければ逃げない。

また、「うちの仕事は他所とは違うんだよ」とか、「本物の職人というのは違うんだ」ということで、うまく価値を高めなければならない。これは業界の役割かもしれませんが、ちゃんと施主がお金を払ってくれる仕組みをつくらなければいけない。ですから、昔の職人でいう「お出入り」という仕事は、うまくできていたのかなと思うわけです。

なぜ教えないかということをまとめますと、どこに行っても通用してしまう技能を、その親方のところでないと通用しない、他所と違うんだよというよう見せる。すなわち、オープンな技能をクローズであるかのように見せる。そこで競争力を高めるということです。

そういう意味で、一番徹底しているのが「一子相伝」です。絶対に子どもにしか教えないシステムがありますね。教えないというのは、ある種の合理性があるのでしょう。しかし、どうにか教えなくてはならないのが、これからの課題だと皆さんには考えてもらいたいわけです。





数値化、見える化で教えられる職人技

僕がずっと技能、いわゆる職人技というものを研究しながら考えてきたことなんですが、これは皆さんにとって当たり前のことだと言われるかもしれませんが、職能としての技能というのは、まず基本的に手づくりの味なんてあっちゃいけない。ほとんどの技能というのは、機械以上に徹底的にブレを排して同じものを造り続けなければいけないということだと思うのです。

ですから、よくテレビなどで職人が「曇りの日と晴れの日では調合を変えてすごいよね。職人技だ」とか言うのですが、何のためにやるかというと、いつでも同じものを作るためにやっていることなのです。

それから熟練というのはあります。身体で繰り返しやらないと覚えられないもの。そのうち無意識にやってしまうことから、なかなか教えられないと考えてしまうのでしょうけれども、それでも教えようと思えば教えられます。

技能を教えるときの基本は、見えるようにしてやるということです。口で何とも表現できないようなことは、何とか数値化してあげることです。通常目で見えないことを見えるようにしてあげる。IT化が進んでいるので、画像で見えるようにしてあげるとか、いろいろなやり方がある。それから、結果の見える化というものもあります。どうやったら早いか、どうやったらきれいになるのかということも、うまく工夫すると見せることができる。

例えば、どうしたら大工の鉋がうまくなれるかということを研究しているのですが、有名な大工の書いた本だと、たいてい3〜4年かかると書いてあります。けれども、うちの大学生、大学に入るまで鉋をいじったこともない、刃の外し方も分からない者が、教えると2〜3週間でものすごく上達し、中にはプロ並になる者もいます。

それはなぜかというと、今お見せするもので教えているからです。研ぐという意味が分からないと刃は研げません。砥石がいいかどうかという話がよく大工の間にありますが、これも本当かどうか科学を使うと分かります。

ちゃんと教えているところでは、技能グランプリを25歳で取ったという人もいますし、若くして現代の名工になった人もいます。やはり教えられる環境では、そういうことが成り立つ。

鏡のように表面が光っている木は、どうなっているのか。500倍くらいで表面を見ると、いい鉋で削ってあると油が粒になって並んでいます。こうなると、テカテカと光っているのだなと分かる。

今からお見せする写真は、全部自分で鉋を砥いだものです。錆びて、先がこぼれていたりといった、状態のひどいものを研ぎました。

荒砥をかけた写真です。それに中砥をかけるとこれくらいになる。仕上砥をかけるともっと細かくなる。さらに超仕上砥をかけると、これくらいになる。こうなると、刃物は切れるようになる。さらにさらに、もっとガラスを磨くような研磨剤で磨くという裏技がある。そうすると、こうなる。

こうした写真を見せると、研ぐということがどういうことか分かってくる。「刃物は回すんだ」と言う人がいるが、回して研げるわけがないということが分かる。傷は刃に真っ直ぐに付けなくてはならない。横に研いではいけないということも分かるのです。

砥石の成分は何かを見ていくと、荒いのはこれくらい。これから3000番、8000番となっていくと、だんだん細かくなるのが分かります。砥石の上の汚れた水を捨てるかどうかとよく議論していますが、捨てたらこれが全部無くなってしまい研げないということが分かる。見れば分かるという教材は、このように作れるということです。

また、同じものを同じ技能レベルの技能者に作ってもらい、その作業を比べる。そうした作業分析ということをしてみると分かることもあるのです。





さて次は、訓練校ということです。組合などの団体は何をやらなくてはならないかというお話をします。

これは、ドイツのマイスターの写真です。マイスターには制服があって、現場に行ってもこれを着ています。世界中を修行で回っている時などは、どこへ行っても制服を着ています。これは一つのステータスです。

マイスターの訓練校で教えている人たちは教える専門になったら、そこで技能が止まってしまうのではないかという疑問があります。どうするかというと、数年に1回訓練するプログラムがあるのです。教えるのが得意な人には、職人から外れて訓練校の職員になるという道もあります。

訓練校の中には作品が展示してあって、それらにはみんな図面が付いていています。組み外しができる教材もあります。日本の訓練校では、教材が少ないとかよく言われるのですが、外国の訓練校では教材作りに努力していることが非常によく分かる。単に見て覚えるのではなくて、図面で示す、教材で体験してもらうというように工夫されています。





取り組むのは国ではなく業界自身

諸外国の制度を見ていくと、繰り返しになりますが、囲い込む仕組みがあって、ここの中で教える仕組みを一生懸命につくっていて、段階的な評価の仕組みがある。日本に無くて外国にある仕組みだと思います。

これは国がやるものではありません。組合や協会でやることがあるのじゃないかと思います。それを一緒に考えたいものです。そういうものがないと、最初にお示しした問題は、放っておくとどんどん悪い方向にしか行きません。何かの魅力をつくらなくてはいけない。賃金が良くなければいけないとか、入職してきたときに将来の目標が見えなくてはいけないとか。そこに行くまでには、どんな段階があるか見えて、かつきちんと処遇が上がっていく仕組みを見せてあげないと、なかなか若者は入ってこないだろうと思います。

今度、国土交通省の中央建設業審議会と社会資本整備審議会でつくる基本問題小委員会でも検討することになると思いますが、国がガイドラインを示すにしても、やるのは業界団体です。お金を実際に集めることができるかは、非常に大きな問題ですが、ゼネコン団体も「それはありだね」と言っています。これから解決していかなくてはならない問題なのかなと思っています。

低成長時代の業界団体の役割ということですが、何のために業界団体として集まっているのか。きちんと業界というもの、会員というものを定義して、その中で働く人の福利厚生をどうしていこうか、福利厚生というのは保険にちゃんと入れる仕組みをどうするかということです。

それから能力向上もしてもらう。外国では自分たちの組合を守るためにちゃんと訓練をしているのです。高くてもマイスターに頼みたくなるようなインセンティブがないと、どんどん安いものに流れてしまう。業界団体が努力しなければならないことがあると思うのです。

囲い込みということ、それから基金を整備するということ。さらにイメージアップ戦略をするということがある。基金の整備は難しいにしても、県単位の団体でもちゃんと囲い込むこと、イメージアップ戦略をするということ、それから何か教材を開発するというようなことはできるのではないでしょうか。

ぜひとも、いい機会ですので、静岡の団体でも何かを考えていただいて、全国から「これはものすごくいい例だよね」というものをつくってもらえたらうれしく思います。



 



ドイツの訓練校ではマイスター(制服のチョッキを着ている)が若者に教えている(写真撮影=蟹澤教授)



 


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