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若手記者が聴く〜社長、あなたはなぜ建設業を?A三和電業(香川県高松市) 山地一慶代表取締役社長

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 取材の趣旨を伝えると、山地一慶社長は一冊の手帳を机から取り出した。建設業の経営者として歩みを進めていく転機となった思い出が、そのボロボロになった手帳に詰まっているからだ。
 香川から全国、さらに中国にも進出した三和電業グループの3代目である山地社長。自社に入社した経緯を聞くと「他社で2年間、サラリーマンとして勤務したが、面白みを感じることができなかった。それなら三和電業で真剣に仕事をしてみようと思った」と振り返る。創業家の息子である以上、当然のように将来の事業承継を期待される。相応の覚悟を持っての入社だった。
 当初は、関西支社で順調に経験を積んでいたが、転機となったのは4年目。中国のプロジェクトに参加すると、慣れない環境や、商習慣・文化の違いに対応できなかった。トラブルが続きで精神的に疲弊する毎日。その頃の心境を「投げやりになり、人や環境のせいにしてばかりしていた。仕事を進めようという気持ちが先走っていたのだろう」と自嘲気味に語る。
 その姿を見かねて、当時の上司が手渡してくれたのが「フィロソフィー手帳」。父であり、当時社長だった山地真人相談役が、仕事を進める上での考え方をまとめた冊子だ。トイレの中で少しめくると、「逃げるな青年!不都合も愉(たの)しもう」という一節が目に飛び込んできた。その時の状況を見透かすような言葉に「ふがいない自分に涙が溢れてきた」と振り返る。
 涙を拭いて現場に戻ると「初めて、自分に代わって、黙々とトラブルに対応する作業員の姿が見えた」。この時に「現場でともに働く人々の大切さを身にしみて実感し、自身の未熟さを痛感した」という。
 その後、プロジェクトを完遂させて帰国すると、京セラ創業者の稲盛和夫氏が主宰していた盛和塾に入塾。あらためて、経営の知識や経営者としての哲学を学んだ。その中で発表した経営体験を稲盛氏が高く評価。自身も盛和塾で学んでいた真人氏は、それを見て「社長交代の時期がきた」と確信したようだ。
 社長交代後、まず力を入れたのは「人材育成」と「人の連携」。新人教育や、グループ内の社員が連携する仕組みを整備し、いまも「若い時から社員が成長できる体制」を目指して改善を進めている。背景にあるのは、やはり若かりし頃の成長体験。自身を支えてくれた手帳を手に、人の成長を会社の成長につなげる努力を重ねている。
(四国支社香川支局=多田野壮也)