建通新聞社

建設ニュース、入札情報の建通新聞。[建設専門紙]

「宅建」という資格から見えてくるもの 第1回 私が宅建講師となるまで@

いいね ツイート
0

 さて、私が「宅建」や「マンション管理士」などの講師になって13年ほど経ちますが、私は今年45歳ですので、講師になるまでにはいくつかの仕事を経験してきました。まずは、それまでの経緯をお話しします。
 私が大学(法学部)を卒業した平成元年は、バブル経済の真っ只中であり、私の同期生も証券会社や商社などに多数就職していきました。「宅建試験」の受験申込者数は全国で40万人にも上り、いわゆる「土地神話(=土地の値段は下がることはないという、今となっては幻想)」を背景に、「一億総不動産屋」などという言葉があったころです。
 ただ、私は当時、弁護士になることを目指し、司法試験の勉強を続けておりましたので、就職活動というものを一切しませんでした。当時の司法試験の合格率は3%程度で、合格者の平均年齢は30歳位でしたので、当初は、5〜10年位はアルバイトをしながら勉強を続けていく覚悟でおりました。
 しかしその後、大学3年の時に父親が他界したことや、私が一人っ子であるということもあり、母親に精神的・経済的な負担をかけさせたくないという思いから、「東京から地元(静岡)に帰って、母親の近くで仕事をしながら受験勉強を続けよう」と思い、残業がなく、民間に比べ仕事もあまりハードでなさそうな、たまたま求人広告が出ていた、社団法人静岡県宅建協会というところに就職しました(しかし実際には、思惑とは大違いで、ここでの仕事は質・量ともに非常にハードなものでした)。
 この「宅建協会」との出会いが、私のその後の人生に多大なる影響をあたえようとは、そのころは微塵も考えつきませんでした。
 影響を与えられた要因には幾つかありますが、大きくは「人との出会い」と「〈宅建〉という資格との出会い」でしょう。
 まず、「人との出会い」についてですが、私は、静岡県宅建協会の本部事務局に就職しましたので、県内の宅建業者さんの中から選出された〈役員〉の皆さんとお仕事をさせていただいたことは大きな経験でした。私の父親より上の世代の方々から、ものの考えから仕事の仕方まで、社会人として、あるいは男としての基礎を徹底的に叩き込まれました。また、事務局の皆さんにも、時には厳しく、時にはやさしくご指導いただいたお陰で、ここまで来れたのだと思います。今でも、宅建協会を訪れると皆さんが笑顔で迎えてくれますが、これは私の人生の中での大きな財産だと思っております。
 そのような充実した宅建協会時代でしたが、在職中に「宅建試験」を受験し合格した頃から、一時忘れていた『今まで学んできた法律知識を使った仕事に就きたい』という願望が頭をもたげ、どうしようもなく私を突き動かしました。これが「〈宅建〉という資格との出会い」です。
 結局私は意を決して、5年間勤めた協会を退職し、司法書士になるべく、市内の司法書士事務所へ転職することになりました。

久保 剛(潟vレスエイジェント代表取締役 不動産アナリスト)
株式会社プレスエイジェント 
ホームページ http://www.press-a.com

執筆者プロフィール

久保 剛 株式会社プレスエージェント代表取締役 不動産アナリスト メールアドレス tko@press-a.com