祝・横浜市公共建築100周年<8月号>
横浜ファンを拡大せよ−。
Congratulations on the 100th anniversary of Yokohama City Public building division.
Please enjoy more information for Yokohama lovers.
今から100年前、1922年4月1日。横浜市の行政組織に建築営繕事務を行う「建築課」が誕生した。以来、市民が利用する文化施設やコミュニティ施設、社会福祉施設、514の学校、109の市営住宅、病院、庁舎、焼却工場などを整備し、現在は約2600施設を保有するまでに至った。
建通新聞では2022年5月から23年3月まで、月替わりの連載で横浜市の公共建築の歴史を振り返るとともに、建設や維持保全に携わる技術者を紹介する。
そこにあって当たり前の公共建築とは。
技術者から見た推し≠フ建物は。
あまり表には出てこない、公共建築に携わる人の思いとは―。
(2022年8月1日更新)
As many as one hundred years have passed since the public building division was established in Yokohama City Government on April 1, 1922.
About 2600 buildings have been constructed, such as city halls, community centers, social welfare facilities, 514 schools, 109 public housing, hospitals, incineration plants, and that made our lives so convenient, comfortable and smooth.
Now, let's focus on those involved in technology, who made the buildings and have been taking care of them ever since, and think over the meaning of public buildings.
(As of August 1, 2022)
1・横浜市公共建築の紹介 This is The Public Building
横浜市公共建築の紹介4回目は、日本最大級の複合MICE(※)施設「パシフィコ横浜」と「横浜港大さん橋国際客船ターミナル」を見る。海から横浜にアプローチする時に、最初に目にする建造物の一つだ。
In the fourth installment of our introduction to public buildings in Yokohama, we look at PACIFICO Yokohama, and the Port of Yokohama Osanbashi International Passenger Terminal. They are among the first structures you see when you approach Yokohama from the sea.
※MICE=ビジネスイベントの総称。企業などの会議(Meeting)、報奨・研修旅行(インセンティブ旅行、Incentive Travel)、国際機関・団体、学会などが行う国際会議 (Convention)、展示会・見本市、イベント(Exhibition / Event)の頭文字を使った造語。
◆パシフィコ横浜 PACIFICO Yokohama
パシフィコ横浜は横浜市の『みなとみらい(MM)21事業』のリーディングプロジェクトとして民設民営方式で整備された、日本最大級の複合MICE施設。
PACIFICO Yokohama is one of the largest MICE complexes in Japan, developed as a leading project of the "Minato Mirai 21 Project" by the City of Yokohama under a private-private management system.
パシフィコ横浜の全景 (写真提供・パシフィコ横浜)
1991年8月の開業直後に「国連ピースメッセンジャー都市会議」が開催されて以来、2010年日本APEC横浜や第50回アジア開発銀行年次総会、アフリカ開発会議(TICAD)などの政府系会議や、国際エイズ会議をはじめとした国内外の医学会・学術会議、自動車・化粧品・カメラ・ボートなどの展示会、恐竜展・フランス映画祭・ダンス選手権などのイベント、福山雅治・桑田佳祐などのコンサート、FIFA World Cup KOREA/JAPAN 国際メディアセンター・ラグビーワールドカップ2019TMファンゾーン・横浜マラソンなどのスポーツイベントなど年間約1,000件のMICEイベントの会場として利用され、来場者数は年間約400万人を超える。
設計を担当した建築設計事務所、日建設計の亀井忠夫会長に話を聞いた。
建設当時を語る亀井忠夫会長(左)、若竹馨氏と中村光男氏の対談の記録
(日建設計発行「NIKKENSEKKEI LIBRARY-9 パシフイコ横浜・クイーンズスクエア横浜」より)
―亀井会長がパシフィコ横浜の設計を担当されたのですか。
いいえ、私はパシフィコ横浜の完成後、クイーンズスクエア横浜を手掛けました。パシフィコ横浜の設計を担当した中村光男さん(日建設計元社長)をはじめ当時の設計者の方々が既に引退されてしまっているので、代わりにお話しします。
1986年、パシフィコ横浜の若竹馨部長(当時)から「設計案を3案提案してほしい」とのオーダーを受け、社内で三つのチームを立ち上げ、設計競技(コンペ)を行いました。提出期限は1カ月半程度だったと思います。1チーム3〜4人体制で取り組んだ結果、水面から屹立する大きな「帆」をイメージしたデザインのホテルを提案した、中村光男さんのチームの案が選ばれました。私は吉野繁さんとチームを組み、自案が一番だと思って提案しましたが、落選しました(笑)。
―ホテルのデザインはとても独創的です。
社内では、「スイカのようにも見えるし、特徴があって面白いね」などと話されていました。このホテルは上から見るとV字型の建物で、全客室がオーシャンビュー。ウォーターフロントに相応しいホテルです。展示ホールのシルエットは緩やかな波形です。陸と海がつながった感じが、港町にマッチしています。都市には印象的な風景が大切です。港町には、シドニーのオペラハウスのような、特徴あるシルエットがふさわしい。中村チームのデザイン案は、今から思うと唯一無二でした。
中村さんは後にこう語っています。「この形は、われわれの中では理由があって決まっていったのです。パシフィコ横浜は全部で20万平方bもあります。長さ500b、奥行き200b。これだけ大きなボリュームが海際に立つのは日本では初めてではないでしょうか。まず形が非常に大切だと思いました。横浜港の風景の中に、20万平方bのボリュームを持った四角いスカイラインの建物ができたら絵葉書になりません。何とか四角くしないようにと最初は斜めにカットしていたのですが、どうしても必要な数の客室が入らない。そのうち、少し膨らませて、客室をどんどん入れていったら、こういう形になりました。ホテルの形が決まれば国際会議場の形も自ずと決まり、展示場は全体との調和を考えながら、張弦梁構造の梁の形をそのまま表現しました」。それが「都市の形を決めていくだろう」と。
さびしい埋め立て地に新しいまちをつくる
工事は88年12月にスタートしました。大変な現場のようでした。当時はまだ建設地の開発段階で、現場に行く道路はなく、敷地の境界もはっきりしない、さびしい埋立地です。そこに新しいまちをつくるのです。ホテル、会議センター、展示ホールに分けて工事が進められ、91年に会議センターとホテル、展示ホールのT期(A・B)が完成しました。全体が白基調で展示ホールの屋根は波形のデザイン。海の風景によくなじみます。会議センターのロビーは海側にあり、ホテルのラウンジからも海が見え、どこからでも海の景色を享受できます。展示ホールの柱のない大空間は張弦梁構造です。居住域空調を採用し、音漏れにも配慮した施設です。
工程も厳しかったようですが、現場で工事に当たられた方々が一生懸命、皆で力を合わせた結果、美しい施設が完成しました。
94年に5000人を収容する東日本唯一となる国立の国際会議場として国立大ホールが、2001年に展示ホールU期(C・D)とアネックスが、20年にはノースが完成した
MM21地区は千葉の幕張新都心と比較されます。MM21地区はゆっくり時間をかけてつくられた感じがあります。パシフィコ横浜からクイーンズスクエア横浜、横浜ランドマークタワーまで、海から陸に向かってなだらかに連続する建物群が徐々につくり上げられました。結果的にはこれが良かったと思います。
横浜の人々は馬車道や山手、関内など、エリアごとの景観を大切にしていて、横浜市も、アーバンデザインに対しての強い思いがあると思います。都市デザイン室の田村明さんや岩崎駿介さん、国吉直行さんたちの思いは、MM21地区の景観デザインに大きな力を与えました。ポリシーがはっきりしていて、まち全体が良くなる。常にパブリック空間がどうあるべきかという視点で考えられています。建て主と意見が相違することもありますが、まち全体を考える視点は大切です。
建物は社会の共有財産 パブリック空間がどうあるべきか考える
建物というのは完成した瞬間に社会の共有財産になります。どんな小さな住宅でも社会的な影響力があります。建てる人にはそういう気持ちで臨んでいただきたいと思っています。
ホテルやホールなど一般の方々が使う施設の設計は、完成後に訪れることができるのがいいですね。当社は、横浜では神奈川県民ホール、パシフィコ横浜やクイーンズスクエア横浜、横浜三井ビルディングなどを手掛け、マリンタワーやみなとみらいホールの改修も担当しました。古い建物の増改築では、馬車道の日本火災海上保険株式会社横浜ビル(現・損保ジャパン横浜馬車道ビル)や横浜情報文化センターの実績もあります。横浜市は自然も豊かで、環境に恵まれた都市です。チャンスがあればまた横浜で仕事をしたいと思います。
そうそう、先日、横浜市建築局が根岸森林公園のトイレ設計コンペをやっているのに気づきました。小さなトイレなら一人でできるだろうから参加しようとしましたが、参加資格に40歳以下≠ニいう年齢制限があり、断念しました(笑)。こういう機会に、建築や都市に関わることへ興味を持つ人が増えてほしいと思います。
―最後に、パシフィコ横浜の社内設計コンペで、亀井会長のチームはどのような提案だったのですか。
大ホールを空中に持ち上げて配置し、その下を広場とする案でした。建物の下を通して海まで視線が抜け、クイーンズスクエア横浜のあるクイーン軸≠ゥらも海が見えるように考えた計画案でした。これも良い案だと思いませんか。
亀井忠夫(かめい・ただお) 日建設計代表取締役会長、建築家
パシフィコ横浜の施設位置図 (写真提供・パシフィコ横浜)
パシフィコ横浜 横浜市西区みなとみらい1-1-1
@会議センター(Conference Center)、Aホテル(ヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル、The InterContinental Yokohama Grand)
▽規模 鉄骨・鉄骨鉄筋コンクリート・鉄筋コンクリート造地下1階地上31階建て延べ13万4781平方b
▽設計 日建設計
▽建築 戸田・飛島・鉄建・大日本土木・村本・松尾・三木・紅梅・シャルJV
▽電気 関電工・きんでん・共栄社・三沢電機・扶桑電機JV/三菱商事・西電工
▽空調 新菱冷熱・川本工業・東洋熱・大澤・光電社JV
▽衛生 トーヨコ・西原衛生・昭和設備・日宝JV
▽昇降機 日立製作所・三菱電機・東芝・横浜エレベーター
▽情報設備 日本電信電話/松下電器産業/NTTデータ通信
▽工期 1988年12月〜1991年10月
Bプラザ(Plaza)・ロータリー・プラザ地下駐車場
▽建築 大成・間・東洋・不動・奈良・日本鋼管JV
▽電気 東洋電機通信・東電同窓・電成社JV
▽空調・衛生 菱和設備・光設備・福島管工JV
▽昇降機 東芝
C国立横浜国際会議場(National Convention Hall of Yokohama/国立大ホール、National Convention Hall)
▽規模 鉄骨鉄筋コンクリート、鉄筋コンクリート、鉄骨造地下1階地上7階建て延べ1万6723平方b 客席数5002席
▽設計 日建設計・マンシーニ・ダッフィ・アソシエーツJV
▽建築 鹿島・戸田・シャールJV
▽電力 日本電設工業
▽通信 四電工
▽空調 新菱冷熱工業
▽衛生 斎久工業
▽客席 コトブキ
▽昇降機 東芝
▽昇降床 三菱重工業
▽ステンドグラス 日本交通文化協会
▽工期 1991年8月〜1994年3月
D国際展示場T期(展示ホールA/B、Exhibition Hall)
▽建築 熊谷・竹中・奥村・銭高・山岸・工藤・イワキJV
▽電気 中電工・共栄社・扶桑電機・鋼管電設JV
▽空調 須賀・日比谷総合・大成温調・大澤JV
▽昇降機 東芝・日立製作所
水際線外構
▽石川播磨重工業(三菱重工業)
▽五洋建設
▽大林・大本・イワキJV
E国際展示場U期(展示ホールC/D、アネックスホール Exhibition Hall、Annex Hall)
▽規模 鉄筋コンクリート・鉄骨鉄筋コンクリート・鉄骨造地下2階地上4階建て延べ3万1698平方b
▽建築 熊谷・竹中・山岸・イワキJV
▽電気 共栄社・鋼管建設工業
▽空調衛生 川本工業・大澤工業・光電社
▽昇降機 日立製作所・東芝
▽工期 1999年7月〜2001年7月
F横浜みなとみらい国際コンベンションセンター(Yokohama Minato Mirai International Convention Center/パシフィコ横浜ノース、PACIFICO Yokohama North)
▽規模 鉄骨造地下1階地上6階建て延べ4万6295平方b
▽設計 佐藤総合計画・竹中工務店設計共同企業体
▽施工 竹中・小俣JV
▽工期 2017年8月〜2020年3月
Gホテル(ザ・カハラ・ホテル&リゾート 横浜、THE KAHALA HOTEL & RESORT YOKOHAMA)
▽規模 鉄骨造地下1階地上14階建て延べ4万8114平方b
▽基本構想 竹中工務店
▽設計 観光企画設計社
▽施工 鹿島
▽工期 2017年8月〜2020年3月
◆横浜港大さん橋国際客船ターミナル
Osanbashi Yokohama International Passenger Terminal
大さん橋国際客船ターミナルは、横浜港開港以来130年以上の歴史がある海の玄関口。現在のターミナルは2002年に完成した7代目で、愛称の「クジラの背中」は、その大きさや流線形から取ったもの。2021年10月には長年にわたり消費者、ユーザー、人々に支持され、今後も継続することが期待されるデザイン≠ニして、公益財団法人日本デザイン振興会主催の「グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞した。
The Osanbashi International Passenger Terminal is a marine gateway with a history of more than 130 years since the opening of the Port of Yokohama. The current terminal is the seventh generation, completed in 2002, and its nickname, "Back of the Whale," was taken from its size and streamlined design. The product received the "Good Design Long Life Design Award" sponsored by the Japan Institute of Design Promotion as a "design that has been supported by consumers, users, and people for many years and is expected to continue in the future".
大さん橋国際客船ターミナル全景 (写真提供・横浜市港湾局)
ウッドデッキは暖かみがある。建物内部は開放感のあるつくり。
建築物ってこんなに曲線が使えるものなのか
横浜港大さん橋国際客船ターミナルは、横浜にある海の玄関口の一つで、7万総d級の船が2隻、3万総d級の船が4隻まで着岸できる。屋上に上がれば、横浜ベイブリッジやみなとみらい21地区などの横浜港沿岸部を一望できる。建物内にはCIQの他、講演会や展示会、セレモニーにも使用できる大さん橋ホールを備えている。
現在の大さん橋は、1999年8月〜2002年10月に工事が行われた。02年6月に大部分がオープンし、12月の大さん橋ホールの完成によりグランドオープンした。設計は国際公開コンペで最優秀賞を獲得したアレハンドロ・ザエラ・ポロ氏とファッシド・ムサヴィ氏による。
どうして国際公開コンペとしたのか。
1999年4月から2002年4月まで港湾局港湾整備部大さん橋客船ターミナル整備事業担当部長として事業に携わった熊倉利男氏に話を聞いた。
「横浜は開港以来、港とともに発展してきました。大さん橋地区は横浜港発祥の地として『ミナトヨコハマ』の重要な役割を担い、明治・大正・昭和と海外交流の拠点として、豪華客船でにぎわってきました。そこで、客船ターミナルの設計者の選定に当たっては、公平性・公開性・透明性を確保すること、国内はもとより世界各国にアピールすること、そして、デザイン都市横浜として建築文化向上への寄与することをねらい、国際公開コンペを実施することになりました」
「コンペには、41カ国から660件の応募があり、この中からイギリス在住の建築家アレハンドロ・ザエラ・ポロとファッシド・ムサヴィ両氏の提案が最優秀作品に選ばれました」
「国際コンペの結果は、1855年に創刊されたイギリスの全国紙デイリーテレグラフの文化欄に出たのを始め、世界の12カ国の新聞、79カ国の雑誌で報道されました」
「高い評価を集めたのは、@客船ターミナルとしての機能、市民施設としての快適性や屋上の多彩な市民利用A抽象的な形態でありながら自然の形態にアナライズした革新的なデザインB客船がさん橋に停泊したときに客船を引き立て、施設もより魅力的な表情を見せる―などの点です」
「実施に当たりこれほどの応募があるとは考えていなかったと思います。国内よりもむしろ海外の関心が高かったようですよ」
大さん橋の見どころは、クジラの背中からの眺望だけでなく、建物そのものだ
「内部空間には柱や階段がなく、出入国ロビーや大さん橋ホールなどの上下の移動にはエレベーターの他、構造体である桁梁内部のスロープで移動します。建物の断面を見ると、左右両側にある五角形の矩形が桁梁として、この中を人が歩き、1階から2階、2階から屋上へと上下階移動します。この桁梁によって建物全体は支えられています」
「大さん橋はその鉄骨構造の複雑さが大いに話題を呼びました。同じく施工が難しかったのが、曲線を多用したデザインの表現に即した木工事でした。使用した木材は中南米産イペ材で、強度、耐朽性、摩耗性、耐用年数が極めて高く、比重は1.12と水よりも重いものでした。それ故に加工組み立てには相当苦労したと聞いています。施工面積は床・壁合わせ約4万3000平方bに上ります」
当時のまちづくりの視点は、今も変わらない
「大さん橋は山下公園、中華街、横浜ベイブリッジ、新港ふ頭の赤レンガ倉庫、横浜ランドマークタワーなどが立地するみなとみらい21地区を望める国内有数の観光拠点です。新客船ターミナルの整備を契機に、横浜市民からも愛され、誇れる施設として、また、海外観光客船の寄港が増加し、世界各国から多くの人々が訪れることを期待しています」
大さん橋国際客船ターミナルはいま、期待通りの役割を果たしている。
熊倉利男(くまくら・としお) 1970年横浜市入庁、建築局配属。2002年建築部長。緑区長を務め2007年退職
1.建て方 2.桁梁は鉄骨ブロックを組み立てて建設。製作したのは全て違う形状の107ピース
3.左右の桁梁をつなぐ折板の建て方。接合時、精度管理を徹底した
4.完成した内部スロープ。屋上と屋内をつなぐ 5.熊倉利男氏
(1.2.3.4.写真提供・清水建設 5.写真提供・横浜市港湾局)
大さん橋国際客船ターミナル 横浜市中区海岸通1-1-4
▽規模 鉄骨造地下1階地上2階延べ約4万4000平方b
▽設計 アレハンドロ・ザエラ・ポロ氏とファッシド・ムサヴィ氏
▽施工 1工区―清水・東亜建設工業・東亜建設産業・日本鋼管工事・松尾JV 2工区―鹿島・フジタ・相鉄・工藤JV 3工区―戸田・東急・山岸・スルガJV
2-1・公共建築に携わる職員の紹介 Technology persons of Yokohama city
◆公益財団法人 横浜市建築保全公社
Yokohama City Building Maintenance Public Corporation
公共建築物の適正な維持・保全業務を行い、施設の安全性や利便性を高めて、市民福祉の増進に寄与しています。
また、これまで公社が長年培ってきた修繕技術に加え、安全管理や工事の品質向上などに関する調査研究を行い、研究結果を今後の工事に生かしながら、市民や施工者を対象とした研修などを通じて普及啓発活動を行い、公益法人として広く社会に還元しています。
【営繕第一課】横浜市が所有する約2,600施設の建築分野の修繕事業を担当しています。横浜市より、学校や市民利用施設など、さまざまな改修依頼を受け設計及び工事の監理業務を行っています。
【総務課】庶務係と契約係で構成されています。庶務係は理事会・評議員会などの組織運営、予算・決算などの経理事務、人事労務などに関する業務を担当しています。契約係は年間約1,000件以上の工事請負、委託に関する契約業務や入札に関する業務を担当しています。公社運営をスムーズにし、職員が気持ち良く働ける環境の整備に取り組んでいます。
横浜市建築保全公社 営繕第一課、総務課
(氏名 Name@所属、担当 BelongingA推し≠フ公共建築 My favourite Public buildings、ひとこと message for you)
原雅彦(はら・まさひこ) @営繕第一課A横浜市三殿台考古館 竪穴式住居の建て替え工事を担当しました。住居の構造や寸法などの精密な調査と図面化に苦労しました。施設の方や職人さんと工夫を凝らして建てました。丘の上で眺めが良く富士山も見えます。是非行ってみてください。
大ア公太(おおさき・こうた) @営繕第一課A横浜市開港記念会館 市民利用が可能で講習会などで利用する際は重要文化財の中で過ごすことができるお得感を味わうことができます。外観もさることながら調査のため入った屋根裏には木組みがジャングルジムのようになっており圧巻でした。
山脇淳一(やまわき・じゅんいち) @営繕第一課A横浜市港南公会堂 2021年5月にリニューアルした新しい公会堂でホールは2階です。ひまわりをモチーフにした客席が明るく、音響もヤマハのデジタルアンプを使用した最新の施設だけあって反響、高音域の返りがとても良かったです。
柴田映子(しばた・えいこ) @営繕第一課Aベーリック・ホール 結婚式もできる広い前庭のある歴史的建造物です。飾り窓、床タイル、化粧張組の天井など見どころが満載です。子ども部屋のターコイズブルー、主寝室のピンクグレーの壁の色を真似て、私自身の子ども部屋、寝室の塗装を行いお気に入りの空間となりました。
池松秀則(いけまつ・ひでのり) @総務課A旧市庁舎 横浜市職員として、16年間過ごした建物です。5階・6階・7階で執務しました。思い出深いのは、2011年3月11日の東日本大震災のときの長周期の揺れです。
山口高明(やまぐち・たかあき) @総務課A栄区役所 初めて訪れたときは「階段の蹴上げが低い気が…」と感じましたが、小学校をリノベーションした庁舎であると知り、なるほどと思いました。マスコットのタッチーくんもなんともかわいらしいです。
内城愛(うちしろ・あい) @総務課A関内ホール 子どもの頃は習い事の発表会、大人になってからは研修会などで、何度も利用しました。音響がとても良く、リニューアル工事も行われているので、どんなイベントでも利用しやすいホールだと思います。
蛭川雄治(ひるかわ・ゆうじ) @総務課A港南区総合庁舎 庁舎管理者として移転に関わりました。アルミスパンドレルが印象的な外観もいいですが、自分も関わった庁舎案内サインも、シンプルでスタイリッシュさが気に入っています。
古川晴美(ふるかわ・はるみ) @総務課A大倉山記念館 内装改修の現場見学をしました。一見すると木製の壁が、調査をすると漆喰の壁に木目の装飾が施されているなど随所に美しく見える工夫がされた建物で、歴史的建造物の凄さを実感しました。
倉澤恭夫(くらさわ・やすお) @総務課A旧市庁舎 横浜では村野藤吾作品はここと市大の校舎ぐらい。外から見える柱が上に伸びていくにしたがって細くなるなど、経済設計の工夫が凝らされています。解体されないでよかった。
大谷浩美(おおたに・ひろみ) @総務課A横浜市開港記念会館 私たち家族が横浜に住居を移してから、家族全員で初めて訪れた記念の場所です。家族といっても幼いころの話ですが。その当時、素敵な造りにあこがれを抱きました。
後藤幸代(ごとう・さちよ) @総務課A横浜市開港記念会館 重厚感と歴史あるれんが造りの壁面と繊細で美しいフォルムの屋根を持つ、ひと目で横浜の魅力を感じられる建物です。はまっこの子供達と横浜の歴史を知るために訪れた思い出の場所です。
2-2・公共建築に携わる民間技術者の紹介 Technology persons
◆竹中工務店
東京本店工事監理部長 笠井香澄(かさい・かすみ)
横浜支店支店長付 石原次男(いしはら・つぎお)
パシフィコ横浜ノースの設計・施工を担当
パシフィコ横浜ノースは、人・モノ・情報が出会う交流の場、「汀(みぎわ)」―
横浜市全体のおもてなし°@能を強化して国際会議の誘致でアジアの優位に立つため、横浜市は、パシフィコ横浜の隣接地「20街区」に新しいMICE施設を建設することを決めた。MICE機能と民間収益施設のホテルを備えた「オールインワン」の施設を整備し、パシフィコ横浜と一体運用する。MICE側の事業手法はPFIのBTO(Build、Transfer and Operate)方式。2015年8月、事業者に選定されたのは竹中工務店グループ。竹中工務店が統括管理と設計を、佐藤総合計画が共同設計者として設計・工事監理を、竹中工務店・小俣組JVが施工を、日本管財が維持管理・保全を、三菱UFJリースが資金調達を担う。民間収益施設の事業者がリゾートトラストに決まり、プロジェクトが動き出した。
設計を担当した竹中工務店の笠井香澄工事監理部長と、施工現場を統括した石原次男横浜支店支店長付に当時を振り返ってもらった。(敬称略)
1.石原次男氏(左)と笠井香澄氏 2.上棟式 3.地域貢献活動に取り組む20街区のワンチーム
4.けんせつ小町活躍現場見学会 5.ホールの大空間。床は交差する波をデザイン。
ホールを八つに分割すると、全てのスペースが異なるパターンになる
6.ノースからの風景。会議室には窓がないが、会議が終わり外に出ると、
屋根越しに海の見えるこの白い波の風景が目に飛び込んでくる
7.パシフィコ横浜ノース (2.3.4.5.6.写真提供・竹中工務店 7.写真提供・パシフィコ横浜)
笠井 新しい施設を建設する20街区の2万2000平方bは更地の野原。MICEのメインとなる「大ホール」と「ホテル」という二つの機能が成立する施設づくりへのチャレンジが始まりました。社内でホテルの設計グループとMICEの設計グループに分かれ、敷地の分け方などを調整しながらスタートしました。私は入札段階ではホテルの担当です。吉川理恵さんと二人、ホテルの基本的な形、プランとなる基本構想を考えました。
忘れられないシルエットのホテルを
笠井 パシフィコ横浜のヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルは、一目見たら忘れられないシルエットですよね。20街区のホテルも、一目見たら忘れられないような特徴ある形が求められているのではないかという思いがありました。20街区と海の間には公園があり、オーシャンフロントのインターコンチとは条件が異なります。「フロアの上の階にいくほど眺望が良いね」「上階ほどフロアが広いといいね」などと話しながら、手のひらを内側から外側へ、手首をくるりと返すゼスチャーをするうちに、その形がホテルのシルエットになりました。
ホテルは一般向けと会員向けの二種類で構成します。三つの棟を分節し、雁行する形で複数の波を表現しました。インターコンチの白い外観に対し、こちらはガラスを使い、氷を削ったような、透明感のある外観です。その外観が当選案として基本構想となりました。その後、ホテルの基本・実施設計は観光企画設計社さんに、建設工事は鹿島さんに変わりましたが、ホテル事業者さんにこのアグレッシブな外観は気に入っていただき、基本構想として存続しました。ありがたいことです。
ここは波打ちぎわ
笠井 20街区の海側には公園があり、道路を挟んだ反対側は、高層マンションが並ぶ都市的な領域です。ふと、「ここは波打ちぎわだ」と気付きました。
MICE施設は都市と海の中間地点。
人とモノと情報の交流の場。
寄せては返す波のような出会いの場。
機能的にも、場所的にも波打ち際。
周りに波を想起させる形の建物がある。
新しいホテルもMICEも波を想起させる形でつくろう。
そう思い至り、渚を意味する汀(みぎわ)≠キーワードに用いて説明することにしました。
パシフィコ全体の連続性を
MICE施設も大きなボリュームを分節し、雁行させ、緩やかなアールを描き、低層でも波を感じさせる形にしました。フラットの屋根は少し波打ち、重なり合う波と打ち寄せるさざ波を表します。外観は全部白で、上から見た時にパシフィコ全体の連続性を感じられます。
求められる機能を満たしながら形を与え、景観協議やさまざまなご意見を頂き、近隣説明会で施設の説明を重ねるうちに、汀(みぎわ)≠ニいうコンセプトが浸透していきました。
工事期間中は現場事務所の設計室に5人で約3年間常駐し、MICE施設の設計をブラッシュアップしました。設計者も工事監理者も一緒になってのものづくりです。横浜市文化観光局さま、パシフィコ横浜さまとも密に打ち合わせを重ね、つくり上げていきました。
チャレンジの現場
石原 施工を担当して思ったのは、ここは、やってみなくては分からないことにチャレンジできた現場です(笑)。
MICE施設の大ホールは高さの異なる4種類の鉄骨トラス架構で波を表現しなければなりません。117b×52.5bの無柱大空間です。60bの折板を折り曲げ、架けながら下がる建て逃げ工法で施工しました。大変な広さと曲面の屋根なので、竣工検査にはドローンを使用するなど、さまざまな新技術を採り入れました。
パシフィコ横浜を運営しながら新しい施設を建設する居ながら施工≠ナす。周辺への配慮も欠かせません。
施工上の困難はたくさんありすぎて語り切れませんが、一つ挙げるとしたら、廃道の際のインフラの切り回しでしょうか。深い場所にある下水管の切り回しなども難易度の高いものでした。
数字を見ると、行政協議を行ったのは32カ所。現場の入場者数は延べ23万6000人、稼働時間は190万時間となりました。
笠井 設計コンペで当選したものの、本当に実現できるかはやってみなくては分かりませんよね(笑)。私は白い波がいい≠ネどと夢を語り続け、石原所長らにそれを実現してもらいました。
20街区の隣り合った現場が協力
石原 20街区周辺は地元保育園等の子どもたちのお散歩コースだったので、子どもたちの絵を現場の仮囲いに飾らせてもらい、そのお礼に、現場の職員が折り紙でアンパンマンメダルをつくってプレゼントしました。けんせつ小町活動の一環で女子小学生を招いての現場見学会を開いたり、作業所の家族見学会やもちつき大会を開催したり。私はそういうイベントを開くことが好きでした。
同じ街区内でホテルの施工を担当する鹿島さんとは、隣り合って作業をしているので、さまざまな現場活動を一緒に行いました。近隣の清掃活動や、リーダー会の相互開催、お互いの現場を訪問して自社に無い取り組みを見つけての発表会。「竹中さんでは階段に安全標語を張り出している」と発見≠ウれたりしました。懇親を深め、20街区で一つのチームとなって、スムーズな施工につなげることができました。
笠井 言いたいことを言い合える良い現場でしたね。私は、つくりにくい形のホテルを提案した者≠ニしてホテル施工者さんからも会うたびに「あの外観には苦労しています」と言われました(笑)。
読者の方へメッセージをお願いします
笠井 建築業は「自由だな」と思います。20街区施設も設計者が違えば全然違う形のものができていたはず。賛否両論ありながら、考えて唯一のものをつくり上げる。それがおもしろい。答えは一つではないのですよ。
石原 子どものころ、地元の島に橋を架ける工事を見て、その緻密さとダイナミックさに惹かれ建設業に入りました。やりがいのある仕事ですが、とても大変ですよ。
◆清水建設
横浜支店支店長 大橋成基(おおはし・なるき)
横浜支店副支店長 林亨多(はやし・きょうた)
横浜支店安全環境部長 吉田健一(よしだ・けんいち)
大さん橋国際客船ターミナル1工区を担当
(左から)横浜支店安全環境部長吉田健一氏、横浜支店支店長大橋成基氏、横浜支店副支店長林亨多氏。
後方は竣工後に撮影した関係者の集合写真。吉田・大橋・林氏の笑顔も見える(写真提供・清水建設)
大さん橋の建設現場では、これまでの常識や経験が通用しなかった―。
1999年8月〜2002年10月の建設当時、清水建設の現場主任だった大橋成基氏(現・清水建設横浜支店支店長)、見積部より建設現場に異動し原価管理や資材調達に携わった林亨多氏(現・清水建設横浜支店副支店長)、施工図や製作図の作成を担当した吉田健一氏(現・清水建設横浜支店安全環境部長)の3人に話を聞くと、時代を先取りした¢蛯ウん橋の建設工事の苦労だけでなく、建設業の魅力が見えてきた(敬称略)。
―大さん橋の現場について教えてください。
大橋 私は現場主任を担当しました。はじめ図面を見て、この建物は本当にできるのかと疑問すら感じました。今までに経験したことがない仕事で、どれほどの手間≠ェ掛かるか想像もつかなかったのです。何しろ、同じ断面が一つとしてない建物です。水平部分は一階の駐車場と二階の床のみ、垂直部分は一部ガラスカーテンウォールにあるだけ。それ以外は床のウッドデッキが自然と壁になっていく、斜めの鉄骨が壁になる、など、独特の世界観を持つ建物です。
林 私は工務担当の主任で主に原価管理を担当しました。見積段階より関わり、施工段階では協力業者さんの手配や資材調達に携わりました。
大さん橋の現場は従来の常識が通用しない、あらゆる面で難しい現場でした。それまでさまざまな図面を見てきましたが、大さん橋の図面からではとても完成した建物のイメージが湧きませんでした。見積もりを求めた協力業者の方もどうやって作るのかと戸惑っていました。
吉田 私は、仕上げの計画段階から現場に入り、施工図や製作図の作成を担当しました。平面と立面が直角に交わらず、同じ断面がない構造に驚き、どうやったら形にできるか悩む日々でした。
初めて≠フ連続
林 今ではBIMが普及していますが、当時はその先駆けになるVRMLを使用して3次元データとして建物の形状や細部を可視化しました。同じ部材が何一つないような建物でしたから、3次元データは施工に当たり頼りになりました。また、曲線が多い建物ですので鋼板などの部材をゆがませる必要があり、どこまでゆがみを許容できるのか、どこに応力がかかり、その部材が適切なのか、その確認も3次元データで行うことができました。今、振り返ると、想像力が試される仕事に携わっていたなと感じます。
吉田 建物の完成形は3次元データからイメージできます。ただ、そのイメージを実際にものとして形にしていくためには、データを2次元に置き換えた製作図を作成する必要があります。3次元のデータを2次元で表現するのは苦労しましたが、設計者に3次元のそれぞれの座標を確認しながら、製作図に反映していきました。
大橋 施工は初めて≠フ連続でした。
例えば、桁梁の鉄骨は1ピース50d。日本の通常ラインでは製作できない規模だったため、ほとんどを海外の造船工場で、1ピース1カ月以上かけて製作しました。鉄骨は船で現場まで運び、大さん橋に着岸し750トンクローラクレーンで建方を行いました。1日1ピースの建方で、現場では職人さんらが巨大な鉄骨をミリ単位の精緻さで建方、設置、仮止め、溶接、各工程で匠(たくみ)の技を見せます。工程を1日も遅らせることなく作業を進めていきました。
吉田 表面に見えない部分でも新しい技術を使っています。例えば防水です。防水層からウッドデッキを支える束が立っていて、防水層と束をどのように成り立たせるか時間をかけ検証しました。
大橋 床を支えるボルトが防水層を貫通している箇所もあり、その箇所はボルトに防水加工を施しています。こうした技術は、工区分けした清水JVと鹿島JV、戸田JVで共通した仕様とするため、各社の技術部から提案し合い協力して共通の仕様を決めていきました。
―大さん橋を担当しての感想は。
大橋 大さん橋に携わっていた当時は35歳。入社してから一番ワクワクした現場でした。やりがいや完成した時の達成感は特別なものでした。
建設業は、配属される現場やその時の立場で仕事内容が異なります。その意味でマンネリ化しません。私たちが建設した建物は残り続けます。特に公共建築物はいつでも訪れることができる点が特徴です。その場所に訪れた人々の記念になるような出来事やドラマが生まれると思うと、うれしい。大さん橋でイベントが開かれると知るとそっと訪れ、楽しそうに施設を利用する人々を見ることがあります。そのような時、改めて充実感を感じます。
同業者にも大さん橋を褒められ、施工に携わったことをうらやましがられます。ある設計会社の社長からは「こんなの作っちゃダメだよ」と言われました(笑)。このレベルの建築物が実現すると、みんな、次はもっともっと高みを目指してしまうからです。皆さん、大さん橋のような時代を先取りした建物をつくりたいんだと思います。
現場で技術が進化する
大橋 難工事は技術を進化させます。野丁場で大勢の人が一緒に仕事をする中でリーダシップをとり、匠の技を見せてくれる職人さんがいます。それぞれやり方を工夫して腕を上げていくと、次からはそれが標準になり、職人さんも会社も成長します。
プロジェクトを完遂すると、誇らしげな顔をして「終わったな。よし、次の現場だ」とさっそうと別れていくのです。今でもそうした職人さんたちの顔が思い浮かんできます。
林 建築物は一つとして同じものはありません。当時の最先端技術を駆使し、さらにその先の技術を創り上げながら出来上がります。3次元CADを導入した現場でしたが、現場で使用する中で技術が成長していきます。その成長の過程に携われるのは、大きな喜びですし、魅力です。
ドラマやポスターで大さん橋が舞台となっているのを見ると、当時の苦労が思い出され感慨深いです。今でも、大さん橋の建設に携わったことを誇りに思います。
吉田 大さん橋のような巨大な建物も、実際作っているのは一人ひとりの作業員です。ビスを打つなど手作業の仕事を積み重ねて作り上げます。どんな時代になっても、工業化が進んでも、人がものを作るのです。それぞれの立場で、懸命に現物を作り上げる。出来上がった時の達成感を感じることに醍醐味があります。
3・歴代建築局長ご挨拶 Directors of Public building division Yokohama City
坂和伸賢(さかわ・しんけん) 元建築局長、技監(2012〜18年度)
Shinken Sakawa Former-director of Public building division Yokohama City (2012-18)
(@入庁年次 Since A現在の所属 B"推し"の公共建築 My favourite Public buildings、ひとこと message for you)
@1982年入庁 Since 1982 技監兼建築局長 A一般社団法人横浜みなとみらい21 理事長 B十日市場住宅群。係員・係長時に取り組んだ大規模住宅団地の再生。超高齢化、コミュニティーの希薄化、施設の老朽化、防災、居住水準の向上、緑環境の保全・創造など、現在の社会課題が先んじて顕在化した大規模団地の再生プロジェクトでした。
ご挨拶
新市庁舎、区庁舎、学校、公会堂など、特に、七年間の局長時に建築された多くの公共建築物の一つひとつに深い想いがあります。長い年月のなかで、大変多くの多様な人々が、学び、集い、働き、活動し、やがて地域の景観と人々の記憶に同化されていく公共建築。夏休み前のけだるい午後の授業中。教室の窓から眺める銀杏の木々と落ち着いた古い校舎のたたずまい。そこで過ごした高校時代が一枚の絵となって、今も心に刻まれています。
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